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【シリーズ】街角をゆく Vol.10 八尾 (大阪府八尾市)

こんにちは。エネルギー・文化研究所の山納洋(やまのう・ひろし)です。
僕は2014年から「Walkin'About」という、参加者の方々に自由にまちを歩いていただき、その後に見聞を共有するまちあるき企画を続けてきました。
その目的は「まちのリサーチ」です。そこがどういう街なのか、どんな歴史があり、今はどんな状態で、これからどうなりそうかを、まちを歩きながら、まちの人に話を聞きながら探っています。
この連載ではWalkin'Aboutを通じて見えてきた、関西のさまざまな地域のストーリーを紹介しつつ、地域の魅力を活かしたまちのデザインについて考えていきます。
 
今回ご紹介するのは、大阪府八尾市です。主に近鉄八尾駅からJR八尾駅の周辺について紹介します。
 
八尾は難波津と大和を結ぶ要衝の地であったことで古代より栄え、飛鳥時代にはここを拠点とした物部守屋と蘇我馬子の合戦が起こっています。戦国時代には久宝寺で寺院を中心に寺内町が形成され、門徒宗とともに商工業者も集まり、活発な商業が行われました。江戸時代初期には久宝寺寺内町の支配下から逃れた村民と寺院が移住し、八尾寺内町を作っています。今の近鉄八尾駅の近くです。

かつて大和川は、柏原村(現・柏原市)で石川と合流し、玉櫛川と久宝寺川とに分かれ、現在の八尾・東大阪・大東市を横切り、大阪城の北側で淀川に合流していましたが、1704年(宝永元年)の大和川付け替えにより、柏原村から西に流れ、堺の北の海に注ぐようになりました。そしてそれまでの玉串川・久宝寺川の河床には新田が開かれました。川床には49の新田が開かれています。新田地は河川跡ゆえに水はけが良く、稲作には不向きだったことから木綿が栽培されました。

旧大和川に開発された新田地(旧植田家住宅 主屋モニターより)

JR八尾駅近くには旧植田家住宅という、安中新田の会所跡があります。展示室には古文書や絵画、民具などが展示されていますが、その中に糸車があります。
当時栽培されていた綿は繊維が短く糸が太いため、織りあげた布地は耐久性に優れていました。河内木綿は庶民の普段着のほか、のれん、のぼり、蒲団地、酒袋などに利用されていました。そして河内地方の農家は、木綿栽培のほかに糸紡ぎ、木綿織りなどの副業を行っていました。つまり農業だけでなく手工業も行っていたんですね。

安中新田会所跡旧植田家住宅(外観)
旧植田家住宅に展示されている糸車・糸枠・木綿布地

余談ですが、八尾市には姉さんかぶりの女性が、糸車で糸を紡ぐ姿を描いたデザインマンホールがあります。

八尾市のデザインマンホール

1877年(明治10年)頃になると、殖産興業政策により大阪や奈良にも近代的な紡績工場ができました。その原料としては、機械化に適した繊維が長く糸の細い綿が中国やインドから安価で輸入されるようになりました。紡績業界の働きかけにより、1896年(明治29年)に綿花輸入関税が免除されたことで、国内での木綿栽培は一気に衰退しました。そして木綿に関わる農家の副業も失われました。

八尾にはその後、木綿産業に入れ替わるように、大阪市内から撚糸、ブラシ毛植、貝ボタン製造、マッチ箱張りなど、農家の副業に依存する軽工業が進出しています。そしてそれらが発展し、幅広い分野のものづくりの集積が生まれていきました。つまり、木綿にまつわる産業があったこと、それが多様な軽工業に置き換わったことで、八尾はものづくりの街としての発展を遂げたのです。
現在、八尾市には全国トップシェアの出荷額を誇る歯ブラシ生産や、IT部品の加工に使う工業用特殊刃物、ステンレス表面処理などの金属製品、電子機器、ゴム、ガラスなど多様な業種の中小企業が集積し、製造業事業所数が全国で9位となっています。
 
2018年に、近鉄八尾駅前のLINOAS(リノアス)8Fに「みせるばやお」という施設ができています。さまざまな「ものづくりワークショップ」を通じてものづくりと、ものづくりを担う企業の魅力を発信すると同時に、地元企業・大学・金融機関・行政がイノベーションを起こすことを目的にした施設です。

みせるばやお

2020年には、工場の想いや作り手の人々との出会いを“観光やエンターテイメントにする”ことをテーマに「FactorISM(ファクトリズム)」というプロジェクトが始まりました。八尾市、堺市、門真市にある町工場に足を運んでいただくオープンファクトリーイベントです。昨年は80社余りが参加され、今年は10月24日(木)から27日(日)に開催が決まっています。
これらの取り組みから、新たな商品やプロジェクトも生まれてきています。特に若い世代の経営者が地域を盛り上げている印象があります。
 
そして八尾と言えば触れておきたいのが、河内音頭です。
河内音頭の発祥地は、八尾市本町にある常光寺と言われています。室町時代に寺を再建した時に木材を大和川から運んだそうですが、その時の掛け声が木遣歌(きやりうた)となり、やがて念仏踊りと混じり合って土着の音頭になったそうです。その後、八尾の音頭取りたちによって改良され、全国に広がっていったものが「河内音頭」です。音頭取りの節を核にして、ギターと太鼓、三味線、お囃子が入り、音楽に合わせてみんなが踊ります。八尾市では夏になると、20~30ヶ所で櫓(やぐら)が立ち、盆踊りとともに河内音頭が披露されます。
近鉄八尾駅の近くにあるファミリーロード商店街には、河内音頭記念館があります。開館は2012年、館長は伝統河内音頭継承者・河内家菊水丸さん。同記念館では着物や楽器や資料などを展示し、CDやテープを販売しています。7/7(日)の夕方には、記念館前(つまり商店街の中)で盆踊り大会を開催されるそうです。

河内音頭記念館

さいごに、ベトナムコミュニティについてもご紹介したいと思います。
JR八尾駅から東へ1kmほど行ったところにある高美町周辺には、ベトナム人のコミュニティがあります。1980年前後にベトナムから難民(ボートピープル)として日本に来た数家族が、炭鉱離職者のための雇用促進住宅に居住を斡旋されたのがきっかけです。その後人が人を呼ぶ形で八尾市にコミュニティが出来上がっていきました。この住宅はすでに取り壊されていますが、ベトナムの人たちは、空き家になっていた戸建て住宅や新築の住宅で暮らすようになりました。近年、技能実習生や留学生として日本に来た方々もこの界隈で暮らしているようです。現在、八尾市内に暮らすベトナム人の数は2500人(2023年)にもなっています。高美町周辺にはベトナム料理店や食材店、カラオケ店などが点在していて、行ってみるとなかなか楽しいですよ。

ベトナム料理店 「DONG AN」
ベトナム食材店 「ĐỒ VIỆT THI NGUYỄN」


※【シリーズ】街角をゆくは、不定期で連載いたします。
 
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