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『悪性脳腫瘍』という診断。(2月12日)


たくさんの機械と管

入院したその日からPICU(小児集中治療室)での日々が始まった。

コロナ禍ということもあり、面会のルールは『1時間、親のみ、交代なし』というものだった。今まで何時間でも、何日間でも望めばずっと一緒にいれたのに。嘘みたいに変わってしまった。

PICUのフロアは、なんとも独特な空気感があった。待合スペースには、なんだかピリッとしたモノが流れているような、そんな感じ。小児病棟ならではのポップな壁紙とのコントラストに違和感さえ覚えた。


入院した翌日、2月12日

正規ルートでの面会が初めてで、少し緊張しながらも一人でドアをくぐった。改めて見ると本当に「医龍かな…?」というようなたくさんの機械。そこから流れる「ピピッピピッ」という音。頻繁に聞こえる「ピーーーッ」という警告音。全てが怖かった

非現実的な空間で眠るわが子を見る違和感たるや。

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(入院2日目のはやちゃん~しまじろうを添えて~)

PICUは携帯電話の持ち込みができないため、カメラを持ち込んで写真を撮った。この時は「この痛々しい状態を写真に撮るのはどうなんやろうか…」と一瞬考えてしまった。

今思い返しても、そう浮かんだ自分の考えがどう考えても恥ずかしい。今は「はやちゃん!あんたこん時ほんまにめっちゃ頑張っとってんで!!」と一緒に酒飲みながらガハガハ笑って見せてやろうという気持ちです。(そして「おかん、もうそれ何回も聞いてるって」と呆れられたい)


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面会の時間中も、気道によだれや痰などが詰まって苦しくなり、大きな機械のブザーが鳴り響いたり。先生と看護師さんがナイスコンビネーションですごい強さで胸を押して吸引してくれたり。目の前で広がる光景に圧倒されて、眺めるしかできなかった。

前日からの点滴でパンパンに浮腫んだ手や太ももをさわさわ(なでなでって言え)して。垂れ出てる少しの血交じりのよだれをせっせか拭いて。「歯磨き、ママもお手伝いしてもらえますか?」と誘ってもらい、家では大戦争レベルだった歯磨きを難なく遂行して。(それでも歯ブラシを噛みしめてくるもんだから思わず笑った)

初めての正規ルート面会を堪能した



MRIの診察結果と今後の話

その日、MRIを撮ってすぐに医師面談と言われていた。

18時頃、仕事終わりの旦那と一緒に再びPICUに向かった。この時点で泣きそう。心臓痛い。こわい。そしてこわい。

PICU横の面談室の空気。「ここ富士山の上だったかしら?」ってくらい空気が薄く感じた。息でけへん。(この部屋でこの後も何度も「危険な状態です」と伝えられることになるから、今となってはトラウマ部屋。「危険な状態です」部屋。)(安直なネーミング)


透明のパーテーションを挟んで、神経脳外科の先生がパソコンに映るMRI画像を見せてくれた。CT画像は見ていたものの、やっぱりパンチがすごい。

大きさがすごい。脳の4分の1ほどにボコッとなにかある

涙が溢れるのが止められないまま、(授業一列目で聞く優等生のごとく)メモをとろうとペンを片手に先生の話を聞こうとすると、「僕が書くこの紙、差し上げますから大丈夫ですよ」と言ってくれた。


左前頭葉(左前頭部~側頭部)に大きい腫瘍がある。

・脳腫瘍の性質としては『細胞が密集していて、血管を多く含んでいる』。→悪性腫瘍である。

・治療の選択としては、①手術、②抗がん剤治療、③放射線がある。

③放射線は3歳以上でなければ重篤な後遺症が残る可能性が高いので①②のみで考えている。

・来週には手術を行う。ただ腫瘍の大きさ、血管の多さを考えて一回で摘出するのは危険すぎて無理

・手術の目的は『腫瘍の細胞を検査に回して診断を確定させる』『できるだけ多く取り除く』『危険をおかさない』。

・手術(1回目)→抗がん剤治療→手術(2回目)→抗がん剤治療・・・という流れになる。

・治療期間は半年以上。

右半身の麻痺や言語機能に後遺症が残る可能性がある


と、説明してくれた。わかりやすく、丁寧に。

一度で取り除くことはできないということがとてもショックだった。小児脳腫瘍は、小児がんの中ではかなり多くて、最初に取り切れるかどうかがすごく大切だと思っていたから。(検索魔の浅知恵)


話を聞きながら、しゃくり上げるほど泣いていた私。そんな私を見た先生が、

「この腫瘍の大きさですが、生まれた時からあるというわけではないと思います。小児の場合、原因不明なことが多いです。言い方が適切ではないかもしれませんが、運が悪かったとしか言えません。こんなに大きくて、症状が出るのが遅かったので、もっと早く気づくのは無理だったと思います。」

と声をかけてくれた。はやちゃんのことだけではなく、親のメンタルケアまでしてくれるんかいな…とさらに泣いた。気遣われてることが嬉しいやら情けないやらで。

人目を気にせずウォンウォン泣く(鳴く)私とは違って、旦那はキュッと口を結んで凛として一字一句逃すまいと聞いていた。でもその手は震えていた。「よし、任せろ。わしが代わりに泣いたるさかい。」と思った。(思うな)



やさしさの面会

先生との面談を終えた後、同席してくれていた看護師さんが優しい提案をしてくれた。

「面会時間は過ぎていますので、少しの時間になってしまいますが…はやちゃんに会っていかれませんか?

優しさが、気遣いが嬉しくて、すぐに「お願いします」と伝えた。私はちょっと泣きすぎているので旦那に先に行ってもらい、目を乾かした。「はやちゃんの前では絶対泣かないマン」でいたかったから。

旦那と交代で本日二度目のはやちゃんタイム。(やったぜ)顔を見たらまた泣いてしまうかと思ったけど、母って強い。不思議と涙が出なくて、「がんばろな」「はよ一緒に帰ろな」って言葉と笑顔が自然とこぼれた

と思っていたら、看護師さんが

「先生の話ね、今日の今日でバーッと話されたと思うので、わからないこととか不安なことがあったら、私たちになんでも聞いてくださいね!

って!!!優しく!!!肩に手とか置く感じで!!言うもんやから!!もお~~~~やめてやあ~~~~泣くやん~~~泣いてまうやん~~~やめてやあ~~~~!!


ぐっと耐えて。にこっと笑って「ありがとうございます」って言って。はやちゃんに「また明日な」ってバイバイして。

背中向けた瞬間に泣いた。(ドラマのワンシーンか



ちょっと刻みすぎちゃう?

発覚前から、『悪性脳腫瘍』だとわかったところまで書いてみたものの、刻みすぎちゃうか?いつなったら現在に追い付くんや?と思っています。

ここから手術、抗がん剤治療、合併症からの合併症からの合併症……と書きたいことが盛りだくさんなので、まとめながら書いていかねば。


そんなことを言っている中、今日また今後の抗がん剤治療のお話を聞いてきました。まだまだ不安もいっぱい!越えるべき壁もいっぱい!でも大丈夫!そう、はやちゃんならね!!!!!(大声)


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