思考停止と現実逃避
どちらもやります
今より高く飛ぶために
意味のわからないものに出くわしたとき
拒絶するのは優しさではないと僕は思う派です
そして自身のアップデートを怠る思考停止だとも
とはいえ
異物を飲み込むのは自分の心と体に負担だったりもする
それを超えるべくキャパ、余裕を持ち
咀嚼する力を育む
その最適解が美術館デートだと思うんです
昨日も今日も美術館デートについて考える
好きな人とのデートは楽しい
当たり前の様なことを言っています
そして僕はデートのために生きている
決して生きるために生きるのではない…
命は使うもの
では何に使うのか?
そういう自問自答してますか?
僕はしてます
こうして、人を待つ朝とか
誰かが誰かを責めたり
イライラするのに一所懸命になってる間にね
いい加減、そのちっっっさい器、拡張しませんか?
人を責めて立つ優位よりも、
人を許して責任を背負うことに喜びを感じませんか?
好きな人とのデートは楽しい2
好きな人となら
どこだって楽園となる
僕はそう思ってます
だからこその美術館デート
僕がスルーしたあの作品を
あの子は好きだと言った
あの子が好きな僕は
もれなくその作品を好きになった
異物を異物だと感じない感覚
わからないものをわからないままにしない意地
結果として
あの子が僕を嫌うことになろうとも
僕があの子を好きになった事実や
あの子が好きだと言ったあの作品への歩み寄りと理解は
消えない
むしろ
別れの悲しみが永遠なら
それと共にその経験は深く自身に刻まれる
痛いほどに
もちろん想いはあっけなく
成就して欲しいとも思うけど
簡単にうまくいくつまらなさもあるし
あくまでも僕は
人に嫌われたいわけではなく
好かれたいのだけど
「好きな人に嫌われる」
その人生最大の痛みすら
嬉々として糧として
積み重ねることができる美術館デート
好きなあの子との関係が
うまくいけばもちろん嬉しい
でも
うまくいかなくても嬉しい
この健全な
「どっちでもイイ」状態
になったとき、
人は最高のパフォーマンスを発揮できると思います
バスケ観戦
いつだか行ったんです
とある素敵な女性と
僕全然バスケ興味なくて
その人がいなければ一生行かなかったかもしれません
その人バスケ好きで
とても楽しそうに観てたんですね
その姿が見られて僕は良かったなと
好きな人が楽しそうにしてる
それを喜べない人っているんですかね
いるとは思いますが
僕はそうではないんだとわかった貴重な体験でした
そして美術館デート
ちょっと特別でちょっとオシャレ
たまに行くなら美術館
そう思います
僕はアパレルやってたこともありますし
女性に評価される前に
自分で自分に好評価したいので
コンビニに行くにもオシャレを欠かせないfashionholicですが
約8割以上のパンピーな皆様は
理由なきオシャレはできないと思われます
だからこその美術館デート
美術館はとても優しくて
どういう服装だからダメとか
そういうのはないです(たぶんきっと)
その優しさに畏怖の念を抱くのか何なのか
美術館に行くとなると
「ちょっと」オシャレしたくなりません?
僕はなりますね
ガチガチでもなく
ダラダラでもない
ちょっとのオシャレ
それってまさにデートにふさわしい格好なのでは…
「デート」をアップデートする意味でも
「美術館デート」はとても有意義なのでは…
僕は思いました
さらに美術館デートはね
「美」を愛する人しかノれない
「美」の名のもとに相手をふるいにかけられるんですよ
相手をふるいにかけるということは
自分もふるいにかけられることを覚悟することでもあるのですが
そもそも
覚悟なきデートなどナンセンス
俺様は俺様としてガンガン人を品定めすればイイと思います
それはやっぱり自分も品定めされることでもあるから
出品しなければ何も始まらない
だからこそ「選ばれる喜び」が存在する
美術館デートの先にあるもの
出会いと別れ
深く刻まれるのは別れの悲しみ
そして美についての見識、体験
どちらも要らないものだと思います
知識なんてなくてイイし
想いはストレートに成就した方がイイ
とはいえ
意識を高く
美意識を高く
妥協を許さないほどに
うまくはいきづらいものだとも思います
そういう
自己研鑽や努力を
自己研鑽や努力だと思わず喜んでエゴとして坦々と積み重ねた日々が
なかったことにはなってほしくないなと
誰かに褒められるものでもないとも思うけど
なかったことにはしたくないなと思うのです
美を愛する全ての人が報われる世界であって欲しいなと
そのための僕の具体的アクションが美術館デート
行きましょう
今日は14:30くらいから空いてます
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