友達くそくらえ

そういう話で昨夜、僕が盛り上がりまして

何でくそくらえなのかと考えると

「友達」を多用する奴だいたいショボくてダサいんですよ

学生時代

僕は友達が少ない
でした

その事を今になって100%肯定できています
「よくやった」と

なぜならば

僕は
「友達が少ない」
のではなく
「友達になりたいと思える奴が少ない」
だったのです

そしてその思いを貫いた僕

つまらないと思う奴と友達のフリとか、一緒に楽しそうにする演技とか、僕はムリでした

堕ちればお友達はたくさんいる

地獄を想像してみて下さい

下には骸骨の山

自分は蜘蛛の糸を掴んで上に上がろうとしている

下に落ちれば骸骨というお友達がたくさん

上に上がろうとする人は自分1人

こういう時僕は上に上がりますよ

僕は人、骸骨じゃないんでね

結果、蜘蛛の糸が切れて骸骨の仲間入りをしたとしても
蜘蛛の糸が垂れているうちは、掴んで上がろうとし続けますよ

分かりやすく言うと

イケてない奴と「友達」になることは
死ぬよりも嫌なことです
(それは言い過ぎか)

でも「何のために生きてるか?」と自問自答したら
楽しく嬉しく気持ち良くなるためで
イケてない奴と友達になることは
そのどれも満たすことはないばかりか
つまらなくて嬉しくなくて気持ち悪いです

孤独は人を死に追いやると言いますが
死ぬことよりも苦痛な関係があるとしたら
孤独を選ぶことは自然なことで
むしろ健康的だと思います
サバイバル本能です

好き勝手生きてたら

幸いなことなのか、何なのか
僕にも「友達」と呼べる人が現れた様に思います

その体験から語るとしたら
「友達はつくるものではなくできるもの」
です

「友達欲しいです~」とか言う上京1年目の女子とか魅力的な案件ではありますが
僕はどうやら何かに夢中な人に夢中になる傾向があるみたいですし
そもそも「友達」なんて関係、望んでないし

やっぱり友達くそくらえ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?