モラトリアム少年はいかにしてビジネスマンになったか?私の例
どこかで書いた文章が、メールボックスに残っていた。そこには、私がいかにして、いつの間にかビジネスマンになっていたかが書いてあった。ということで、下記貼り付けていく。良い子は真似をしない、べきなのかは置いておいて、私の例である。時は、私が社会人になったときから始まる。
大学時代に放蕩生活をしていたこともあり、社会人になるにあたって毎日朝起きることにすら不安を抱えてのスタートでしたが、前職でいきなり最初に配属された仙台での借り上げ社宅での生活の中で、夜12時過ぎまで猛烈に働いてバーに寄って飲んで帰って寝てすぐ朝から働く生活を3年続けました。
当時は周りが先輩やお客さんばかりで会社も奴隷営業体質だったため、世界の最下層で激務を強いられているとさえ認識していましたが、別の都市に配属された仲のいい同期が更に厳しい思いをしていることもあり励まし合いながら、なんとか耐え抜いて、人に喜んでもらう楽しさを見つけるまでに至りました。
最初から「こんな生活が待ってるけどやってみる?」と選ばされたなら絶対に選びませんが、今となってはあの生活がなかったら今の自分はないので、結果的にラッキーだったと思います。
「何ごともやってみないと分からない」ということを学びました。やる前から、ああだこうだ言って、判断して、やらない、というのは馬鹿らしいです。やる前に判断してやると決めるのもいささか重いですし、うだうだ考えている時間があればさっさと始めた方が先に進めます。つまり、まずはやってみるということです。
段取りも大事です。考えることを先延ばしにしたくなるのも人間ですが、いつ考えても、そんなに結論は変わりません。であれば、さっさと考えて決めた方が、それに必要なものやことも、前もって分かるので、明らかに段取り良くなり、楽になります。
楽をしたいから、逃げない。楽しみたいから、人にも自分にも嘘をつかない。いつの間にか、あの放蕩生活のDJは、そんな割とストイックなビジネスマンになっていたのでした。
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