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書くことに向き合うため、私はこれから、「書くこと」を手放していくだろう

つい先日、ツイッターのタイムラインで「写真も撮れる愛知県の取材ライターを探しています!」との投稿を見かけた。投稿されてからすでに半日以上経っており、多数RTもされていた。

愛知県に住んでいて、一眼レフが手元にあり、取材ライティングに強く関心を持っていた私は「おそらく、もうライターさん見つかっているだろうな…」と思いつつも、念のため過去の作品と一緒にDMを送ってみた。困っている相手に対し自分が力になれるかもしれないと思ったこと、そして経験を積みたいと思ったからである。

予想通り、“もう決まりそうな方がいる” という連絡が返ってきた。DMで伝えられた詳細によると、募集メディアはかなり大手の企業がやっているものだった。

自分が選ばれなくて残念な気持ちがなかったわけではない。けど、良いライターが見つかったのであれば本当によかったなぁ、とのんびり思った。

それでやりとりは終わった……かと思えば、そうではない。

「編集長にオギノさんのことを伝えたところ、興味をもっていただきました。そこで経歴を簡単に教えていただいても良いでしょうか?」

心臓が跳ね上がった。

こういうことを言われて、ドキドキしない人なんていないだろう。

しかし私の経歴は正直言って、他人に堂々と見せられない恥ずかしいものだ。

大学時代、体調を酷く崩したことをキッカケに、場所にとらわれず稼げそうな手段だというだけで「書く仕事」へ足を踏み入れたこと。2018年からはじめ、ようやく3年目を迎えること。

3年目といっても、情熱を持って打ち込み続けてきたわけではない。うち2年は、単位取得のため学業に7割力を注いでやってきたため、ライターとしての経験値は正直なところ、まだこれからと言っても良いものだ。ライター以外にも、人から勧められてイラストやデザインを細々とやり出したので、自分でもふわふわしていると思う。

独学のまま突き進み、目立たない場所で原稿を卓球のように打ち返しながら、時に体調不良でぶっ倒れ、時に面倒くさがりつつ、そのまま年を重ねている。

だからいまだに執筆は時間をかけてしまうし、文章が上手いわけでないし、誰かに響くわけでもないし、すごく伝えたい特定の分野を見つけられているわけでもない。

「書くこと」にしっかり向き合えていない自分に、中途半端さと情けなさを感じ始めていた。これからどうすればいいだろう、と常に焦りだけが膨らんでいた。

そんなものだから、経歴を伝えるのは少し、いやかなり恥ずかしかった。
体調面で動けない日が人より多いとはいえ、経験を積み重ねようと必死で向き合ってこなかった己の軌跡を、改めて自覚するからだ。

しかし堂々としたそぶりで、経歴を綴ったメールは送り出す。

相手からの返事は、またもや私の心をどきっとさせた。

「本件はおそらく別のライターさんに決まってしまいそうなのですが、編集長が直接やりとりしたいとのことで、よければメールアドレスもお聞きしても宜しいでしょうか。」

バクバクバク。動悸がおさまらない。
もしかしたら今後の仕事につながる話かもしれない。
新しい出会いの兆しに、ほんの少し期待を抱きそうになる。

「編集長さんは応募した人を慮って、ただ丁寧に“お断りの言葉”を伝えてくださるだけかもしれない」
そう己へ先に保険をかけておきつつ、震えながらメールアドレスを送った。

かくして、編集長からメールがきた。

「今回の募集に興味を示してくださりありがとうございます」のお礼から始まるものだった。

「採用を先延ばしにしたい、理由は2つある」

という旨が書かれていた。

ひとつめは、すでにライターが確保されていること。
そしてもう一つが、それでも採用は可能であるものの、メディアは込み入った案件が多く、経験値が必要になる。文章や写真が上手、だけではなかなか難しいということ。

「今後、オギノさんが経験を積まれ、本案件に興味を持ち続けていただけていれば、ぜひジョインしてもらいたいと考えております。」

そう締めくくられていた。とても優しいメールだった。

新たな出会いは、幕を開けることはなかったのである。

自覚していた自身の問題を再確認するように、納得しながらメールは読んだ。しかしモヤモヤした気持ちが芽生えていた。

経験を積むって、どういうことなんだろう?

ライターなのだから、たくさん書いた量なのだろうか。いっぱい受注して稼げた金額だろうか。有名なメディアに所属した実績を増やすのだろうか。そもそも “年月” なのだろうか。

書くことに向き合いたいと思い始めていたこともあり、最近、たくさん「書くことに関する本」を読んでいた。そういう“技術的な部分”を磨いていくことだろうか。

メールの末尾に編集長の名前があったので、インターネットで検索した。年齢は私よりずっと上。新聞社から独立し、まだ業界に疎い私でも知っている雑誌で書いていたり著名な人のインタビューをしていたり、はるか雲の上で全国的に活躍されている「経歴のある」方だった。

彼女の記事をいくつか読んだ。自分の意見を強く滲ませるエッセイ的なジャンルではない。ひとつの街やものを取り上げた、どこにでもあるような紹介記事だ。

それなのに。

「ああ、また好きな文章を書かれる方を知ってしまった」

そう確かに思えるものだった。

経験を積むということについて、最近悩んでいます。ライターとして経験を積むとは、どういうことなんでしょうか?

気づけばそんなことをバカ正直に書いて、メールを返信していた。
恥ずかしいとは一つも思わなかった。

この人に認められていつか書きたい。“その場所”へ行くには、何が必要なんだろう。素直な気持ちだった。

翌日、返事が返ってきた。
ものすごくドキドキしながら、メールを開いた。

ひとつお答えするとすれば、経験はライターの経験ではなく、人生の経験です。そしてそれは「長さ」ではなく「深さ」と言っていいと思います。

ライターの能力は、はっきりいえば、ライター3年生が30年生よりいい文章を書く。そんなことがザラにあること、だという。

オギノさんが日々、考えていること、見ていること、感じていること。
これがすべて、ライターの血肉になります。
小手先の力ではなく、全身全霊でいろんなことに向き合う。
その先に道は拓きます。

それを読んだとき、私の頭に、“あるパティシエとの出会い” が思い浮かんだ。

ついこの間、11月の終わりだ。
仕事で名古屋のケーキ屋さんへ取材に行った。

その日は前日に比べて気温がぐっとさがり、銀杏や楓など道路に残る秋の名残を木枯らしが巻き上げていく、冬の始まりらしい朝だった。

店を営むのは、異色の経歴を持つパティシエの男性。美大出身で父親の後をつぎ、大学卒業後にお菓子作りの修行を始めたにもかかわらず、世界的なコンクールで数々の賞をとったという漫画の主人公みたいな人物だ。

毎日ジムで鍛えているらしい180cm近くの屈強な肉体と、玉木宏に似た笑顔を持つ彼は、あまりにもストイックな人間だった。

厨房に立ち、クリームの絞り袋を慎重に持つ姿より、芝生の上でラグビーのユニフォームを着て豪快に汗を流している姿の方が想像しやすい。

「僕はすごく時間を大事にしている。だから、あなたたちの取材に対しても、時間を設けるからには “この取材が今までの仕事の中で一番充実していた”とあなたたちに思ってもらえるよう、だいぶ前から準備しています」

特別に案内された店の2階にある来客用の個室で、私は「獅子に出会ってしまった」と、内心震えあがった。

きちんと整えられた黒髪に、いつも微笑んでいるように見えるキュッと下がった優しげな目尻。取り巻く穏やかな印象とは裏腹に、彼の瞳の奥には青い炎が宿り、言葉には常に熱がこもっていた。

父親からついだ店は、彼の代ですべて取り壊し、店名以外、一新しているという。ロゴはもちろん店の外観・内観、インテリアに使う木や石の素材、ケーキをいれる箱の形まで、すべて彼が建築家やデザイナーに指定したそうだ。

iPadでその図案を見せてくれた。おおよそパティシエがすることではないほど、精密すぎる図案。

圧巻だった。

「できれば僕、寝たくないんですよね」

ふいに彼が言った。

「人って、誰でも同じように24時間が与えられているじゃないですか。僕は負けず嫌いなので、その中で美味しいケーキを作るために、どれだけできることを全力でやるか、というのをいつも考えています。できれば寝る時間も削りたい、動いていないのは死んでることと同じだと思っているんで。」

その時、私はハッとした。

追いかけて継いだ父の店を、壊して建て替えるという選択。そしてデザインすべてにまでこだわれたのは、彼が美大出身でデザインの知識があるからではない。全身全霊でケーキに向き合っているからこそなのだ。

この人はケーキのために、「ケーキを作ること以外」へ全力を注ぐのだ。

だから私たちの取材に対しても、驚くほど丁寧で、特別に対応してくださるのだ。

そんな人だから、さぞすごい将来計画を描いているに違いない。そう思って「今後、店をどういう風にしていきたいか」という “定番の質問” を投げかけた。それに対し、頭より体で動くほうだから先のことは考えてない、と彼は朗らかに笑った。

お菓子って、生活の中になくてもいいもの。だからこそ、美味しくなければいけない。僕という人間が作っているから「この店に行こう」じゃなく、「なんか美味しいからこの店に行こう」と、お客さんには思ってもらいたい。そのために自分は今できるあらゆることを、常にとことんやり続けていくだけですね。これから先も、ずっと。

1時間の取材の間、彼は立石に水を流すように話し続けた。「そうですね」や「うーん」という、“間”はひとつも現れなかった。

止まることのない語りは、どれほど彼が常にそのことを大事に考えており、信念として持ち続けているかの証拠だった。

編集長さんはメールの最後に、「自分が今好きな “良い文を書いている人” は本業がライターではない人」だと綴っていた。

パティシエの彼を思い出しながら私が考えたのは、

書くために必要な「経験を積む」というのは、
「書くこと」に囚われたところで得られるものではない。

私がぼんやり考えていた「経験の積み方」では、“3年生に良い文章を書かれる30年生のライター” にしかなれない。

もちろん量を書くことは大事なことだ。すごいメディアで書いているという経験も大事なことだ。

しかし良い文章を自分が書きたいと思ったとき。
書くことに向き合いたいと、真剣に思ったとき。

白いgoogleドキュメントを埋めることや「書き方の本」を開くのではなく、

考えること、見ること、感じること。

自分をとりまくあらゆるものへ、全力で五感を向けること。そしてその時間を増やすこと。

“受け取ったもの”を「その感覚器官だけに留めないため」に、ようやく「言葉」を選び、「書く」という作業がある。

それが「書く経験」が積まれたライターになるということだと、今の私はそう答えを出した。

it is not half so important to know as to feel.

生物学者であり作家であるレイチェルカーソンの「センス・オブ・ワンダー」という本に

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない

という一節がある。この本は私のバイブルであり、「生涯、たったひとつの本だけしか手元に置けない」という法律ができたら、この本を残すと決めている。

ああそういうことなのだ、と腑に落ちた。

ずいぶん前から好きだった本と、取材で出会ったパティシエの彼と、編集長のメールが線でつながり、「書くこと」に向き合いたいけどモヤがかかっていた私の頭に、一筋の道が通った気がした。

“新しい出会い”の幕は開かなかったと思ったけれど、2020年を振り返えれば、これが “最も印象的な出会い” だと思う。

今年も終わりだからといって、「来年から……」なんて言わない。

1日は24時間、誰もが同じように与えられている。
けど自分が人より動けない体なのは、まだ変えにくい現状だ。
だがその中でせいいっぱい「経験」を積むために行動することはできるはず。

たくさんのものをみたい。たくさんの人と会いたい。仲間や友達を増やしたい。


書くことに向き合うため、これから私は、「書くこと」を手放していくだろう。


所属しているコミュニティ、sentenceの企画「今年出会ったひと、もの、学び etc… を教える “2020年を振り返って” 」で書きました。

この機会を与えてくださったコミュニティと、馬鹿正直な自分の返信に丁寧な言葉をかけてくださった編集長さん、つないでくださったライターの方に心から感謝します。

数年後に、編集長さんの元で力をかせるようになっていたいです。

p.s. 取材した、情熱あるパティシエさんが営むケーキ屋については今後某メディアでストーリー調の記事を書きます。知りたい方は聞いてください。こっそり教えます……🙌


生きていきます。どうしようもなくても。