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桜を見に行った話

「ことばは意識。映像は無意識。なにかをことばに起こす、あるいは、ふっとことばが出てくるとき、僕たちは無意識から映像を取り出しているんだ」

だから、時間があるときにいろいろなものを見たい。無意識の領域に、色々なものを入れたい。三島由紀夫ゆかりのレトロな喫茶店で、メロンソーダ片手に友人が言っていたのは、おおよそこんな内容だった。

「そのためにはまず、家を出ないといけないな」

僕はそう答えた。特に予定がなければ家の中で理学書を開く自分を思い出し、苦笑いを浮かべながら。

そんなことがあったから、旅行土産の橙羊羹をつつきながら、昨夜、近所を散歩していた時、ふと立ち止まって眺めた桜たちのことを思い出した。大通りの脇道。そこを流れる小川の両岸に、2kmにわたって植えられた、数えるのが億劫になるほどの木々。夜の帳を全否定するような、真っ白なソメイヨシノが街灯に照らされる様子。昼の明るい時間、彼らはどんな表情を見せてくれるのだろうか。今日の僕は、桜のことが気になっていた。

日本人にとって、古来より、桜はたいへん特別な花だ。3月下旬から4月上旬という、新年度と新学期。まさに出会いの季節を祝福するかのようにあちこちで咲き誇り、あっという間に散っていく花である。今年の入学式の日には桜が満開だと聞けば、意味もなく嬉しくなってしまう。別に自分が入学するわけではなくても。そういった特別な花。

だから、たとえ外がたったの9度で、分厚いコートを貫通するような鋭い風が吹いていて、空一面が薄い鼠色で覆われていても、それは僕の外出の妨げにはならなかった。

大通りの信号を渡り、昨夜と同じ場所を探して立ち止まる。
視界の中央には極めて淡い桃色があった。それらは太く、ごつごつした力強い幹に支えられて、川の両岸に規則正しく整列していた。その列からちらちらと零れ落ちた花弁たちはふわりと水の上に乗り、小川の上をゆったりと滑っていった。

通行人たちが足を止めてスマートフォンのカメラを向ける中、僕もその隣で一眼レフをいそいそと取り出した。ファインダーを覗き込むものの、ピントが上手く合わない。最近少し目が悪くなってきて、微妙なピントの違いが分からなくなってしまっているのだ。それでも僕は頑固なもので、練習にならないからと、オートフォーカス機能は絶対に使わない。どこが焦点なのかが分からず、心の中で軽く舌打ちをしながら、シャッターを何回か押した。

そんな僕にも桜並木というのは優しいもので、画面の中央部いっぱいで、淡い桃色が大胆に自分の存在を主張していた。「素材がいい」とはこういうことか、とそのとき勝手に納得した。

規則正しい並木に沿って歩く。道端からでも手が届く位置に桜たちは律儀に並んでいた。満開の花びらの中には「○○商工会」「○○店○○」のような名前の書かれた提灯が等間隔でぶら下がっていた。屋台こそ並んでいないが、どうやら地域の祭りのようだ。眼前に広がる桜の淡さの中で、鮮やかな蛍光色の青と赤が映えていたから、ここでも一枚撮った。

さて、実際桜を近くで見てみると、この花は桃色ではない。むしろ花弁は殆ど白であり、花の中央部分だけが少し鮮やかな薄紅色をしている。これらがたくさん集まることで、桜並木はぱっと眺めた時に淡い桃色に映るのである。

最近の僕は日本の伝統的な色というのにはまっている。撫子色とか石竹色とか真朱色とか、ともかく、伝統的な色を一つでも多く仕入れることで、より丁寧に世界を分割し、生活を豊かにしたいという欲望を持っている。

その成果は早くも出た。一通り写真を撮り終え、電車の中で写真を見ていると、桜のきわめて淡い桃色(これを薄桜色という)と、きわめて薄い空の鼠色(これを空色鼠という)の間に、はっきりとした輪郭線が見えた。写真を撮っていた時は気が付かなかったが、無意識の領域には、しっかりと境界線が引かれていた。それを写真を通して確認することができた。

小さな感動を覚えた僕は、かの有名な目黒の桜並木に向かう電車を降りた。

桜の数が多ければ、当然さらに綺麗なはずだろう。
そう思っていたが、目黒の桜並木という場所は平日に似合わない大混雑だった。それに押し流されて、立ち止まることもほとんど許されず、満足に写真も撮れなかった。肝心の桜は雑多に咲きすぎてごちゃごちゃしていたように見えた。

何より花が遠い。ここの花には、手を伸ばしても到底届かない。近所の桜が地元のシンボルなら、目黒の桜は展示品だ。

「早くわたってください」
「立ち止まらないでください」

と声をはる警備員までいて、たいそう大事にされていることだ。「順路はこちら」の立て看板まで立っているし。僕には見えないだけで、この桜たちは本当にショーケースの中に入っているのではないのか。

そんなに焦らされては、視力の下がった頑固者は、落ち着いてピントを合わせることができないじゃないか。

こりゃだめだ、と僕は早々に人流を抜けた。そして、もっと素朴で距離が近くて、もっとシンプルに並んだ桜の方へと向かう電車に飛び乗った。

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