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「坊ちゃん」もう一つの結末

夏目漱石の有名な小説「坊ちゃん」の結末は、主人公と山嵐が松山を離れ、東京に帰ってしまいます。それを自分なりに考えてリメイクしてみました。よろしければお読みください。

 汽船は夜六時の出帆である。山嵐もおれも疲れて、ぐうぐう寝込んで眼が覚めたら、午後二時であった。下女に巡査は来ないかと聞いたら参りませんと答えた。ただ、新聞屋が参りましたと答えた。今、呼びますからと言って奥にさがった。
 新聞屋が赤シャツや野だへのおれたちの天誅を嗅ぎつけたのだろうか。さらし首にする記事を書くために来たにちがいない。だが、山嵐は、それは妙だぜと言う。
「この前の喧嘩の記事にしたっておれたちに話なんか聞かなかったじゃないか。新聞屋がおれたちをさらし首にするつもりなら、同じように勝手に、虚偽の記事を書くだろうよ」
 そりゃそうだ、山嵐はやはり智慧がある。
「じゃあ、いったい何のためにきたんだい」
「わからんな。まあ、出帆までまだ時間はある。新聞屋の相手でもしてやろうじゃないか」
「そうだな。こっちはもう東京に戻る身だ。話によっちゃ赤シャツや野だと同じようにのしてやろう」
 それもいいなと言って山嵐は豪快に笑った。するとそこに下女に導かれて新聞屋が現れた。おれと山嵐は、その新聞屋を見て驚いた。そこに立っていたのはうらなり君だった。
「初めまして。四国新聞の古賀と申します。その節は従兄弟がお世話になりました」
 うらなり君に見えた新聞屋は、うらなり君の従兄弟だった。従兄弟のくせにうり二つだ。
「君はうらなり君の従兄弟なのかい」
「うらなり? なんですか、それは」
「いや、なんでもない。しかし、そっくりだな、古賀先生に」
「昔からよく言われます。僕たちはそんなに似ているとは思っていないんですがね」
 冷静になった山嵐が口をひらいた。
「新聞屋の古賀さんがなぜ我々を訪ねにきたのですか」
「従兄弟が日向に行く話を聞いてから中学校についておかしいと思うようになったのです。それでいろいろ話を聞いているうち、この前のあなたたちの喧嘩の記事が掲げられました。僕はあの記事は捏造記事だと思っています」
 さすがうらなり君の従兄弟だ。新聞屋なんて、法螺吹きばかりだと思っていたが、世の中には真っ当な新聞屋もいるもんだ。山嵐が新聞屋のうらなり君に問い質した。
「今、君は思っていますと言ったが、捏造記事だという確証はないのかい」
「ええ。残念ながら私にもわからないのです」
 おい、ちょっと待て、それじゃおれたちと同じじゃないか。
「けど、中学とうちがつながっているのは確かだと思います。なので、当事者であるあなたたちにお話を聞きたいと思ったのですが、すでにお二人とも学校に辞表を出されたと聞きました」
「そうだ。今夜、ここを出て東京に向かう」
「それはまたどうして」
 山嵐は狸、赤シャツ、野だたちの一連の動きを新聞屋のうらなり君にかいつまんで説明した。新聞屋を前にこれだけ分かりやすく説明する山嵐を見て、おれはすっかり感心しちまった。おれだったらこうはいかない。
「君は古賀先生から何も聞いてないのかい。彼からも話しを聞いたほうがいいんじゃないだろうか。彼は被害者だぜ」
山嵐が新聞屋のうらなり君に聞く。
「彼は全てを受け入れています。一度、そうなると血筋なのでしょうか、頑なになってしまいます。ただし、僕は違います。悪いものは悪い、疑わしきは徹底追求すべきだと思っています。ぜひ、お話をお聞かせください」
 気にいった。さすがうらなり君の従兄弟だ、新聞屋は新聞屋でも新聞屋が違う。
 おれは松山についてからの出来事を話そうとしたが、そんなことをすれば六時の出帆に間に合わなくなってしまう。仕方なくだいぶ端折って話をした。しかし話せば話すほど端折った部分が無念に思えてくる。それは山嵐も同じようだ。いや、おれが話した後に山嵐が話したので、おれに比べて時間が短くなったぶん、無念の気持ちはおれの比ではないような顔をしている。
 時間となった。おれたちは港へ向かった。
「ありがとうございます。あなたたちのお話、決して無駄にはしません」
 新聞屋のうらなり君が言うと、山嵐が口を開いた。
「なあ、新聞屋は中学とつながっていると君は睨んでいるのだろう」
「ええ」
「果たして君が我々に聞いた話をもとにさらに取材したとして、その記事を新聞に掲げることはできるのだろうか」
 確かにそうだ。
「分かりません。けど、僕は四国新聞もそこまで腐っていないと信じています」
「わかった。おれはここに残る」
 いきなり山嵐が言いだした。
「残るってどういうことだい」
「言葉の通りだ。ここに残って古賀くんの協力をする」
「そんなこと言ったって君は新聞屋じゃないんだぜ。どうやって協力するんだい」
「いろいろ出来ることはあるだろうさ。別に君も残れなんてことは言わない。これはおれが勝手に決めたことだ。君は東京に戻れ」
 そんなことは言われなくても分かっている。けど、それじゃおれだけ敵前逃亡する弱虫のようで気に食わない。山嵐にそう言った。
「そんなこと気にするな。おれが物好きなだけだ。こんな不浄の地に古賀くんのような正義感溢れる記者がいた。おれはそれが嬉しいんだ」
 その夜おれは山嵐と新聞屋のうらなり君と別れ、山嵐の言う不浄の地を離れた。きっと新聞屋のうらなり君が現れなければ、山嵐と二人、いい心持でこの船に乗っていたことだろう。けど、おれはどうもいい心持にはなれなかった。
 東京について久しぶりに町を歩くと、いい気なもので、漸く娑婆へ出た様な気がして気持ちもやわらいだ。さらに下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊ちゃん、よくまあ、早く帰ってきて下さったと涙をぽたぽたと落した。おれは清のこの姿を見て、わだかまりが吹き飛んだ。東京に戻ってきて正しかったのだ。清にもう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
 それから山嵐と新聞屋のうらなり君の行方がどうなったか、出来得る限り話を得ようとしたが伝わるものは何もなかった。きっとまた赤シャツと野だに、してやられたのだろう。
 その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが、気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。清を失った悲しみに暮れていると、驚いたことに山嵐と新聞屋のうらなり君がおれの家を訪ねてきた。その理由をたずねると、松山で赤シャツと野だの悪行三昧の数々の証拠を手にいれたが、山嵐と新聞屋のうらなり君の行いが四国新聞に知られるところとなり、新聞屋のうらなり君は辞表を出さざるを得なくなってしまったというのだ。
「もうあんな田舎で正義の新聞屋をやることに限界を感じたのさ。だから東京に出て新しい新聞屋を始めることにした」
「なんだって。そんなことできるのかい」
 山嵐に聞くとこともなげに言う。
「きみ、東京には松山に比べるまでもない大きな悪事がうんとあるんだ。正義の新聞屋の仕事には事欠かないさ」
 というわけで、おれは街鉄の技手をやめ、山嵐と古賀くんと三人で新聞屋を始めることにした。正義の新聞屋はおれたちにしかできない仕事だ。小日向の養源寺に眠る清もきっと喜んでくれるに違いない。

坊ちゃん(夏目漱石)【青空文庫】


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