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浜離宮(知識編)

 浜離宮は「離宮」(天皇の別荘)といいながら「大名庭園」である。この訳はすぐ近くにある旧芝離宮と同じなので、前回の投稿「旧芝離宮(知識編)」をご一読願いたい。


 江戸の大名庭園は、水戸藩・徳川光圀の「六義園」、側用人・柳沢吉保の「後楽園」、小田原藩・大久保忠朝の「楽寿園」(現・旧芝離宮)などがあるが、今回の「浜離宮」はどんな大名の庭園か。大名のトップ・オブ・トップ、徳川将軍家である。浜離宮は徳川将軍家の別荘だったのだ。別荘になった経緯を説明すると、もともとは甲府藩主・徳川綱重(1644~78)の別荘で、綱重の子が急に6代将軍・家宣(1662~1712)となったため、以降徳川将軍家の別荘「浜御殿」となった。「浜御殿」と聞くと、歌舞伎ファンならすぐに気づくことがある。そう、ここは歌舞伎『元禄忠臣蔵―御浜御殿綱豊卿』(1940)の舞台なのだ。忠臣蔵の歌舞伎は主に2つあって、江戸時代に作られたフィクション色の強い『仮名手本忠臣蔵』(1748)と、昭和戦前期に作られた史実性の強い『元禄忠臣蔵』がある。後者はMCUのように1934~41年の間に11作品つくられた、歌舞伎には珍しいシリーズ物。その中で最も有名で現在もよく上演されているのが「御浜御殿綱豊卿」なのだ。タイトルの通り、主人公は徳川綱重。浜御殿を舞台に将軍・綱豊が義士の1人・富森助右衛門に仇討ちの意志があるかを探るという話だ。


 浜御殿は明治時代になって天皇の別荘となり「浜離宮」となった。そして終戦の年に東京都の所有になった。これが「浜御殿」から「浜離宮」への流れだが、実はその間に「延遼館」の時代が挟まる。有名な鹿鳴館ができるまでの間、外国人の迎賓館として使われていたのだ。その建物は取り壊されて今はもうない。東京オリンピック2020に向けて復活させようという企画もあったそうだが、結局うやむやになっている。

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