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【#0から保育】 第6回 日本の保育からフランスのシッターへ(日本編)

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大学時代からの女友達である森野は芸術や学問に関する知見が広く、口を開けばいつも刺激的で面白い世界を教えてくれる。彼女がきっかけで出会えた、かけがえのない映画や本がいくつもある。私たちの性格は似ても似つかないが、同じトピックに触れていつまでも喫茶店で盛り上がれるから不思議だ。

そんな彼女が、2020年のコロナ禍で保育園の仕事を始め、さらにその後語学留学のため海を渡り、現在フランスでベビーシッターをしながら学校に通っているという。それまで子どもと触れ合うようなイメージが全くなかった森野の急展開に驚きつつ、この頃妙に生き生きとしている彼女に取材を依頼した。

今回は記事を日本編フランス編に分けて、日本の保育園とフランスの家庭で子どもと過ごす同級生の話に耳を傾けながら、保育観の違いひいては社会を貫く価値観の違いを見ていく。

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(フランス・アルザス地方の街並み)

―「自立ってなんだろう?」
 保育への関心が芽生えたきっかけ

小川:日本の保育園で働くことになった経緯は?

森野:まあコロナだよね。もともとホテルの宴席部門で働いてたけどコロナ禍で失業して。非正規のサービス業って真っ先に切られるから、まだそんなに日本でコロナが流行ってなかった去年の2月時点で仕事がなくなって。

そうなったときに保育園はいつでも人手不足だから働けるっていう、最初はそれだけの理由だった。保育自体はちょっとは関心があったけど、特別子どもが好きなわけでもなく、むしろ苦手だったし。

小川:じゃあ保育の資格を持ってるわけでもなく、それまでの私生活でも子どもとの関わりはなかった?

森野:全くゼロ。でも保育というか、福祉というカテゴリーにはずっと関心があった。高校時代にまでさかのぼるけど、学校が「社会に貢献できる自立した女性」っていうスローガンを掲げてる中高一貫の進学校で。

小川:女子校だよね。

森野:そう、そこで散々「自立」って言われるなかで、「自立ってなんだろう?」ってずっと考えていて。自分は専業主婦の家庭で育って、おばあちゃんも隣に住んでるような環境だったから余計に。

周りは都会のブルジョワの女の子たちだから、「バリバリ働いて自立する」みたいな強い子がいっぱいいるなかで、自分は全然そうじゃなかったんだよね。学校もよく休んでたし、身体が弱かったのもあって馴染めなくて。そこで「自立ってなんだろう?」って考えてたときに福祉への関心に結びついたのかな。女性の社会進出とか言われても、「じゃあ誰が子どもの面倒みるの?」って。

だから大学もそういう興味から政治の学部を選んで、そしたらちょうど1年のときに「保育園落ちた日本死ね」っていう運動が起きたんだよ。

小川:あったね。

森野:ちょうど「これから頑張って政治の勉強するぞ」ってときだったから、そのインパクトもあって保育園制度への関心はあったの。ただ、周りは弁護士とか官僚になりたいって子ばっかりで保育士をやっているような子はいなかったから、保育士資格を取ろうとまでは思わなかったな。

―「超マルチタスクだった」
 コロナ禍で始めた保育補助

小川:コロナがきっかけで保育園で働き始めてから、具体的にはどんな仕事をしてたの?

森野「保育補助」っていう保育士さんの補助をする仕事で、基本的には雑用というか、とにかくずっと掃除をしてた。子どもが立ち去ったあとの掃除、トイレ掃除、ご飯を食べる場所の掃除。掃除をするために机とか椅子とか全部どかして、掃除したらまた全部戻して、布団も100人分くらい一気に敷いたりして……。すごい肉体労働だった。体育会系の部活の夏の辛い練習を思い出すような。しかもコロナ禍でマスクしてたから余計に暑くて。

あとはコロナの影響で消毒の量がすごく増えたり、子どもたちの間隔を空けないといけなかったり、業務が多くて大変だった。それからお昼寝のときの呼吸確認もしたな。

小川:掃除とか消毒の業務に加えて、普通に子どもたちと触れ合う時間もあったの?

森野:うん。特に一連の保育が終わってからお迎えまでの16時から18時くらいまでの時間は、ずっと子どもと遊んでた。あとは集団で移動するときに最後尾を任されて、最後の子に「もう園庭からあがる時間だよ」って声をかけたり。遅い子って絶対いるし、手強い子が残ってたりするから結構大変だった。

小川:じゃあ本当に全部の仕事をやってたんだね。

森野:なんでもやってた。1〜2歳の子たちだったら、オムツ替えて着替えさせて寝かしつけて…。もう言い切れないくらい全部やってた

小川:何歳の担当とかじゃなくて、全年齢を担当してたの?

森野:最初は3〜5歳だったんだけど、コロナ禍で一時期縮小保育になって、本当に預かりが必要な子たちだけが来るようになって、そのあたりから全年齢を見るようになったかな。私みたいにフリーで動ける人が、いつでもどこにでも入れるように。

小川:それだけ人手が足りないってことだよね。

森野:うん、足りないところにどんどん回されるんだけど……やっぱり大変だよね。

小川:だってそれまで全く子どもと触れ合ってなかったんだもんね。

森野:初めてオムツの替え方とか覚えて……でもすごい成長したの。30分で15人分のオムツ替えたり着替えさせたり。しかもうちの園は名札をつけてないから、大人数の名前を全員覚えて。あとは洗濯もしたしピアノも弾いたし……超マルチタスクだった

―「保育士はプロフェッショナル」
 重労働とプロの自覚

小川:働いていた期間としてはどれくらい?

森野:コロナ禍になってからフランス留学に行くまでの期間で、5ヶ月くらいかな。あれ、思ったより短い……あんなに濃密な時間だったのに!でもその期間は、週4日フルタイムで働いてた。

小川:森野みたいに資格や経験もなくアルバイトで働いてた人は結構いたの?

森野:半分くらいそうだったよ。保育補助ってだいたい資格いらないし、30〜50代くらいの主婦が多かったかな。

小川:子育てが落ち着いた人たちがパートで働いてるのかな。

森野:そうそう。本当に、そういう人たちなしじゃ回らない状況なんだと思う。子育て経験がある人たちはやっぱりすごく頼れるし。

ただ問題は体力面かな。保育補助ってほとんど肉体労働だから、40〜50代の主婦の方にとっては負担が大きいと思う。私はダントツで若かったけど、そういう体力のある人が特に幼児クラスの保育補助には必要で。私と一緒に働いてた主婦の方は、夏場でマスクして重労働してたら倒れてしまって……結局体力の問題でやめちゃった。

小川:男性の保育士さんも少ない中での重労働、やっぱりかなりきつい状況なんだね。それでも森野が働いてた園はわりと大きな園というか、コンセプトやブランディングがしっかりしてるところだよね。園の理念の面ではどうだった?

森野:そこはすごく惹かれるところがあった。特に、子どもを子ども扱いしないところかな。自分も「子ども」とか「女」とかそういうカテゴリーってあくまで社会的に作られたものだと思ってるから、「子どもらしさ」とか「女らしさ」とかそういう型にはめずに、「人間」としてひとりひとり尊重する視点はいいなと思った。

先生たちも同じで、「先生」呼びせずにみんな「さん」付けで呼ばれてた。「先生」ってなると、いかに先生に好かれるかとか、先生の求めるいい子になれるかとか、そういうことを子どもが考えちゃうから。とはいえ先生と子どもの立場の違いはやっぱりあるから、なかなか理想通りとはいかないけど。

小川:基本的に大人も子どもも分け隔てなく、一緒に育っていくような風土のところだったんだね。

森野:そうだね。私が働き始めたときも、自分の名前と肩書が書かれた名刺を渡されて。私みたいなアルバイトの保育補助にも名刺を持たせることにびっくりした。保育士はプロフェッショナルな仕事だっていう意識が園にあって、たとえアルバイトであってもちゃんと自覚や誇りを持たせようってことなんだと思う。

小川:ちなみに森野の肩書はなんて書かれてたの?

森野:なんだっけ……「スマイルメーカー」みたいな感じだった。NiziUみたい(笑)

小川:いいね(笑)

―「規律された天使たち」
 大人を求める子どもたち

小川:森野とは大学1年からの長い付き合いだけど、コロナ禍で保育園の仕事を始めてから、かつてないほど生き生きしてるように見えたよ。

森野:そうなんだよね。本当に、親とかにも「変わったね」って言われた。

小川:もちろん疲労感はありそうだけど、それも良い疲れに見えるというか。なんかキラキラしてた。大変なことがたくさんありながら、やりがいを感じた部分もあったのかな。

森野:最初に保育園で働き始めたときは本当に衝撃的で、当時の自分のメモを見返したら「規律された天使たち」って書いてあったんだけど。

小川:すごいワード(笑)

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