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埼玉県知事選の命運を握る大票田・川口の攻防

 8月25日に投開票される埼玉県知事選が山場を迎えている。知事選に立候補しているのは、5名。全員の街頭演説には、足を運べていない。

 「与野党対決!」と言われる今回の知事選では、与野党とされる2人の候補者の街頭演説を見てきた。

 そして、今回の埼玉県知事選は、川口市がカギを握っていると言っても過言ではない。

平成の市町村合併という荒波を乗り切った埼玉県第2の都市・川口 

 埼玉県の県都は、言うまでもなくさいたま市。埼玉県は47都道府県において、東京都・神奈川県・大阪府・愛知県に次ぐ全国5位の人口を誇る。その数は、約726万人。

 県都・さいたま市は人口が、約130万人。もちろん、これは県内の市町村では第1位。そして、第2位の川口市は人口が約60万人。半分にも満たないが、さいたま市が浦和大宮与野岩槻の4市が合併して誕生したことを考えると、川口市の人口は突出しているといえる。川口市も2011年に鳩ヶ谷市を編入して、肥大化した。

 この鳩ヶ谷市の編入は平成の市町村合併の残り香で、本来は蕨市も含めた3市による合併が模索されていた。しかし、川口市は3市で人口が圧倒的に多い。ほかの2市の人口は川口市に遠く及ばない。

 それゆえに、川口市は合併の条件が不満だった。対等合併といえば聞こえはいいが、いわば川口市にとって合併はマイナス。そのため、不満も大きかった。また、川口市が合併を拒否した理由のひとつには、新市名も影響したと思われる。

 3市が合併しても半数以上が川口市民なのだから、川口市は当然ながら新市名にも川口市を推す。しかし、ほかの2市にしてみれば、合併後の新市名が川口市では吸収されたようなイメージになってしまう。2市は武南市を提案。これで合併協議はこじれ、無難に決着することなく不調に終わった。

 破談になった3市の合併協議だが、鳩ヶ谷市は合併に生き残りをかけていた手前、蕨市とは別の思惑が存在した。市名はどうでもいいから、とにかく合併したい。そんな鳩ヶ谷市の意向から、川口・鳩ヶ谷2市による合併協議が始まる。

 3市で進めていた協議をベースに、川口市と鳩ヶ谷市の話し合いは進められた。そのため、川口・鳩ヶ谷の協議に時間はかからなかった。編入合併という不利な条件でも、鳩ヶ谷市はすんなりと受け入れる。こうして、鳩ヶ谷市は川口市に編入される。

 川口市といえば、昭和期まで鋳物工場が立ち並んでいたキューポラのある町といったイメージがいまだ根強い。しかし、駅前はいたって郊外のベッドタウンという趣で、鋳物工場を目にすることはない。そんな面影は消えている。

 駅東口のペデストリアンデッキも立派で、東西どちらの出口からもバスが頻繁に発着している。駅前には、百貨店のそごうや徒歩5分の位置にはイトーヨーカドーを核テナントにした大型商業施設のアリオもある。生活環境は申し分ない。

 鳩ヶ谷市を編入した川口市は、その後も成長を続けた。東京に隣接しているという好立地もあり、ニューファミリー層がどんどん流入してきた。埼玉高速鉄道という、新しい鉄道も川口市の発展を後押しした。ここまで発展すると、県都・さいたま市とも張り合える。市町村合併で、川口の名前を捨てなかったことをよかったと思っている市民は多いことだろう。川口市の成長ぶりは、さいたま市を脅かすほどになっていた。

浦和にできて、川口にできないはずがない 湘南新宿ラインは停車せよ!

 2011年に鳩ヶ谷市を編入する以前から、川口市の人口は増加していた。川口駅は埼玉県に属するが、京浜東北線に乗れば一駅で赤羽に到着する。赤羽駅から埼京線に乗り換えれば池袋駅新宿駅渋谷駅といった副都心には30分ほどで着いてしまう。上野東京ラインに乗れば、上野駅まで15分、東京駅にも30分で着く。

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 川口市の玄関駅・川口駅は京浜東北線しか停車しない

 そんな好立地にありながら、赤羽と比べると不動産価格はぐっと下がる。都内というブランドが、不動産価格を押し上げる。荒川が不動産価格の境界線になっているのだ。そんな川口駅近辺をサラリーマンが見逃すはずもなく、川口駅を使う住民は増加。川口駅の利用者は年を追うごとに増えていった。

 約60万人の人口を擁する川口市の玄関駅である川口駅は、京浜東北線だけしか乗り入れていない。京浜東北線のホームは幅が広いものの、1面2線構造で、ラッシュ時には人がすぐ溢れてしまう。ひとたび輸送障害が起きれば、改札外まで混雑する。

 その混雑は、さらなる危険な状況を引き起こすといった悪循環にもなる。そうした危険性を排除するべく、川口市はかねてより川口駅に湘南新宿ラインを停車させるように要望していた。そして、その要望はJR東日本だけではなく、国土交通省への陳情にもつながっていく。

 川口市役所職員から国会議員へと転身した新藤義孝議員は、川口駅の湘南新宿ライン停車の要望を強く働き掛けてきた人物でもある。そして、上野東京ラインが開業すると、川口市の要望は「湘南新宿ライン」の停車から「中距離電車」の停車にバージョンアップした。これは、上野東京ラインを含む高崎線・宇都宮線も停車させろという要求だ。

 湘南新宿ラインは浦和駅にホームがないことを理由に、浦和駅を通過していた。そうした状況に対して、浦和市民や浦和駅利用者から停車の要望が強まり、ホームが新設された。2013年になって、ようやく湘南新宿ラインの浦和駅停車が実現する。

 川口市にとってみれば、浦和駅に停車させられたのだから川口駅にもできるはず、と踏んでいたに違いない。旧浦和市の人口よりも、すでに川口市の人口の方が多いのだ。それだけに、川口市は強気の姿勢を崩さなかった。

埼玉県知事選の主戦場 川口

 4期という長期政権をおりた上田清司知事に替わって、新たなリーダーを選出する埼玉県知事選は、8月25日に投開票される。事前報道で立候補を表明していた国会議員が取りやめ、与野党対決が鮮明になった。

 知事選の候補者は全員で5名。そのうち、元川口市長の孫で参議院議員を辞職して出馬した大野元裕候補と、春日部市出身でスポーツキャスターとして活躍した青島健太候補の2名による一騎打ちの構図になっている。

 川口市長を祖父に持つ大野候補は、当然ながら川口市が地盤。実は大野候補が参院選に初出馬した際、川口駅のペデストリアンデッキで街頭演説をしたのを取材したことがある。

 当時、人気絶頂期にあった蓮舫議員が応援弁士として駆け付けており、駅前のペデストリアンデッキは大観衆で埋まった。私は街宣カー正面のバスロータリーのところから、カメラで写真を撮った。今、その写真を見返してみると、大野候補が非常に若々しく見える。約10年前だから、当然である。

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 大野候補は2010参院選で初出馬(川口駅前)

 2010年の選挙で参議院に当選した大野候補は、その後に民主党の事業仕分けに仕分け人として参加。その際、玉木雄一郎衆議院議員と席を並べ、汗をかいた間柄でもある。

 今回の知事選で、大野陣営は8月17日に大宮駅西口のペデストリアンデッキで総決起集会を開催した。そこには国民民主党の玉木雄一郎代表も駆けつけている。玉木代表の応援演説では、「ヨルダン領事館に勤務していた際に、大野候補が上司だった」という話が披露された。大野・玉木の数奇な運命を改めて感じさせる内容だった。

 また、大宮駅西口の総決起集会では、地元埼玉5区選出で立憲民主党枝野幸男代表と茨城7区選出の中村喜四郎議員も姿を見せた。大野候補が直前まで所属していた国民民主党の玉木代表や、同じく事業仕分けで一緒に汗を流し、地元埼玉5区の枝野代表が大野候補の応援演説に駆けつけることはスムーズに理解できる。

 また、自身の後継者と指名する上田清司知事が応援演説をすることも容易に理解できる。しかし、中村議員が姿を見せるのは不思議な印象を抱いた。なぜ、わざわざ埼玉県知事選の応援に?と。

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埼玉県知事選の街頭演説で、大宮駅に結集した応援弁士と大野候補

伝説の中村喜四郎と大野候補を結ぶ「何」か

 中村喜四郎議員の名前は、一般的には知られていない。なぜなら、中村議員自身が露出を嫌っており、テレビ出演はおろか新聞や雑誌のインタビューにも簡単には応じないからだ。

 そんな中村議員ではあるが、地元に戻れば誰もが知るスーパースター。そのため、選挙は無敵。自民党でも歯が立たない。連立を組んでいる公明党は、選挙時に自民党から出馬している候補者ではなく、中村議員に為書を送る。戦う前から白旗状態なのだ。

 そうした不思議な魅力が政治通や選挙ウォッチャー・国会ウォッチャーには浸透しており、中村喜四郎の名前は半ば伝説化しつつある。

 長らく選挙取材をしている私でも、伝説の政治家・中村喜四郎を生で見たことはなかった。埼玉県知事選の取材で大宮駅西口に足を運んだときも、中村議員が来ることは知らなかった。現場に到着し、カメラのファインダーを覗いていると、中村議員らしき人物の姿がある。最初は目を疑った。すぐには信じられず、半信半疑だった。しかし、どう見ても中村喜四郎だった。

 なぜ、中村議員が大野候補の応援演説に来たのか? その疑問は、次の街頭演説を取材するために移動した川口駅前で氷解する。川口駅前を歩いていると、街路の片隅に小さな石碑があることに気づいた。そこには「建設大臣 中村喜四郎」と揮毫されていた。

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 川口駅前に建立された碑

 つまり、大野候補の祖父は元川口市長であり、中村喜四郎議員は建設大臣だったときに川口市との縁が生まれた。碑文には、平成5年と揮毫されていた。平成5年は、大野候補の祖父が川口市長だった時期ではない。それでも、川口市長の孫である大野候補の応援に駆けつけたのは、川口市との縁を大事にしているから――という精度の高い仮説が生まれた。

 もちろん、この仮説に確証はない。碑文の平成5年は、もう25年以上前だ。中村議員が、それを覚えているかも疑わしい。しかし、他人の選挙応援に姿を見せることが滅多にない中村議員だけに、なにかしら理由がなければ埼玉県知事選の大野候補の応援に駆けつける意味が説明できない。

不世出の元総務大臣 新藤義孝と川口

 大野候補の祖父は川口市長を務め、大野候補も埼玉選挙区で選出。川口を中心に議員活動を続けてきた。

 しかし、相手陣営の青島健太候補にも川口との深い縁を持つ強力な助っ人がいた。前述した新藤義孝議員だ。

 新藤議員は川口市役所職員から自民党議員に転身。その後、第2次安倍政権で総務大臣に就任した。派手さはないが堅実な仕事人といった印象で、先の湘南新宿ラインの川口駅停車の要望でも、議員自らが国土交通省やJR東日本などに足を運んで陳情をしている。それほど川口愛が強い新藤議員なので、大野候補の地元が川口だからといって、川口市民が簡単に大野候補に投票するようにも思えない。

 大野候補が大宮駅西口で総決起集会を実施した日、青島健太候補は昼過ぎと夕方の2回にわたって川口駅東口で街頭演説を実施している。

 昼の街頭演説は15時に開始予定で、次の街頭演説は18時を予定していた。その間、青島健太候補はいったん戸田市へと移動。お祭り会場で、支援の呼びかけをおこなっている。

 一方、15時開始の川口駅東口には、川口を地盤とする新藤義孝議員も姿を見せた。そして、応援演説をおこなっている。地元の衆議院議員だから川口市民にとってはお馴染みの顔なのかもしれない。しかし、川口市民以外での訴求力はどうだろう? たまたま川口駅で下車した通りがかりの人が、新藤議員を見て、反応できるだろうか?

 しかし、新藤議員の凄みは応援演説ではない。青島候補が一時的に戸田市へと移動し、川口駅を留守にしている間も新藤議員は川口駅東口に立ち続けた。そして、ビラを手渡しし、ときに談笑して支援を広げようとした。35度を超える暑さの中、青島候補が戻ってくるまで続けた。元大臣なのに、名もなき選挙スタッフと同じように、である。

 自分の選挙だったら、そうした苦労をするのも理解できる。また、落選して浪人中の身だったら、次の選挙のために顔を売ることも必要だろうから、辻立ちは試練のようなものだ。だが、新藤議員は現職。しかも、元総務大臣。最近は選挙で苦戦することもない。なのに、そこまで汗をかくのか?と驚かされた。

 そして、再び青島健太候補が川口駅東口に戻ってきた。今度は、神奈川県の黒岩祐治知事が応援演説をする。川口市の奥ノ木信夫市長もつづく。新藤議員も再び応援演説をしたが、短く控えめなスピーチだった。

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 青島候補(左)と応援弁士の黒岩知事(右)

 オレがオレがと目立とうとせず、表舞台にも無理に立たない。あくまでも舞台裏で支える。こうした下支えができる議員、しかも元大臣は多くない。貴重な存在といえる。青島候補は地味ながら強力な味方を得たなぁという思いを抱いた。

「安倍」が消えた埼玉県知事選

 青島候補は無所属で立候補しているが、自民党・公明党が推薦している。大野候補は立憲民主党や国民民主党、社民党、共産党など野党が支援している。

 2012年に自民党が政権を奪還して以来、国政選挙・地方選挙を問わず、自民党・公明党は安倍政権の成果を選挙で強調し続けてきた。そして、「だから自民党・公明党が推す候補が当選しなければならない」と主張してきた。

 地方自治体の自律という観点で見れば、国政選挙と地方選挙は別の話だ。機関委任事務があった頃、知事や市長は国から言われたことをするだけの存在でしかなかった。その当時なら、政府と地方自治体の首長が同じ方向を向いている方が予算や認可がおりやすいという事情があった。しかし、地方分権一括法が施行されてからは、違う。だから、2000年以降は一国一城の主を目指す国会議員が増え、知事や市長に転身する議員が目立つようになった。

 それなのに、そうした「安倍政権の成果うんぬん」という、中央と地方を一体視する演説を、地方選でも嫌というほど聞かされてきた。そのたびに、私はうんざりさせられた。ところが、今回の埼玉県知事選では「アベノミクスがどうたらこうたら」「安倍政権の外交政策がうんたらかんたら」という話はなかった。国政の話は、新藤議員が岸田文雄政調会長の話を出したぐらいだが、ほかは特に政権と結びつきが強い方がいい的な主張はなかった。

 安倍政権との距離が近いことで票を集める。そうした戦略は、埼玉県知事選ではマイナスになると受け取ったのだろうか? そのあたりの判別は難しいが、いずれにしても安倍政権と近いことをアピールする演説がなかったことは流れが変わっていることを感じさせた。

 ちなみに、岸田文雄政調会長の名前を出した新藤義孝議員の派閥は、平成研究会(竹下派)とされている。岸田政調会長は宏池会(岸田派)。なぜ、新藤議員が派閥の長でもない岸田政調会長の話を出したか?

 2014年の衆院選では、岸田文雄外務大臣(当時)が村井英樹候補の応援演説で埼玉県の浦和駅西口に来ている。そこでは新藤議員と岸田外務大臣が仲良さげに談笑をしている。もちろん、派閥が違っても同じ自民党なのだから仲が良くても不思議な話ではない。

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岸田文雄外務大臣(左)と新藤義孝総務大臣(右)が応援演説の合い間に談笑

 しかし、埼玉とも浦和とも縁のなさそうな岸田外務大臣がわざわざ浦和駅に来て応援演説をする。これは、村井英樹候補が岸田派だったからという理由なのだが、それにしても政治に興味がある人ならともかく、埼玉県民や浦和市民を多数集められるほどの訴求力が岸田外務大臣にあるとは思えない。

 しかも、その日の夜には大宮駅西口で安倍晋三総裁の応援演説も予定されていた。どちらかに足を運ぶとしたら、どちらを選ぶのかは答えは出るだろう。それでも、岸田外務大臣は浦和駅西口に来た。これは新藤議員との関係によるものも大きかったのではないか、と私は見ている。 

 デッドヒートがつづく埼玉県知事選。ここ数回は現職の上田清司知事が強さを発揮していたこともあって、話題性も乏しく、低投票率にとどまっていた。今回は激戦。果たして、投票率は上向くのか? そして、勝敗は?

 今回の埼玉県知事選の趨勢は、川口が命運を握っている気がしてならない。




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