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恋愛小説、書けません。/Lesson13:「絢乃の恋愛経験」

 高見の「原稿訪問」から数日経った。
 しかし、耀介のパソコンのメモ帳には、まだ何も打ち込まれていなかった。
 何か手応えを感じたはずなのに、と耀介は溜息をく。しかし以前と違うことは、取材用メモに少しずつだがプロットの参考になりそうなネタが幾つか書かれていることと、もう2冊女性作家の恋愛小説を読んだことだ。勿論書店で悪戦苦闘したが、今回は1時間短縮して購入した。
 木下とのアポまで残り数日。どうしてもそれまでにはプロットを提出したい。耀介は焦りを感じ始めていた。

「またか、と言われそうだが……」
 一言呟いて、スマートフォンを操作する。後は返事を待つのみ。すると五分も経たずに返信が来た。
『私の会社の近くにあるカフェで待ってて。時間は18時半ね!』
 やはり頼れるのは絢乃か、耀介は情けない笑みを浮かべてしまった。

 絢乃の会社は、耀介の自宅から電車で20分程の距離にある。
「そろそろ来るかと思ってたわよ。全然進んでないんでしょ」
「ああ、参った。いざ向き合うと書けないものだな」
 絢乃の会社に程近いカフェで、二人が向き合いながら話す。
「参考資料はちょっとイタズラしちゃったけど……辛い?」
「辛いと言うより、主人公を例えば男性にしたとしても、俺がそういう感情を抱いた事がないわけだ。相手の女性にどんな言葉をかけるかも見当がつかない」
「そんなの、どっかの漫画からパクっちゃえ!」
「あのな、何の為の著作権なんだと思っているんだ? それに俺にだって作家としてのプライドがある」
 耀介が憮然とした表情で吐き捨てるように言って、オレンジティーを飲む。絢乃は「こりゃ相当ダメダメなんだなー」と思いながら、カプチーノを飲み一言。
「私のネタで良かったら提供するけど? それなら著作権だとか気にしなくていいでしょ?」
「お前……の?」
 耀介は今一良く分かっていない顔をすると、綾乃が言った。
「私がお付き合いしていた男性との会話。プライバシーの侵害にならない程度にならアンタも表現できるでしょう?」
 絢乃の笑顔に耀介は妙な胸騒ぎを覚えながらも、取材するような体勢を取った。

「初めて付き合ったのは高校一年生の時。相手は部活の先輩だったわ」
 絢乃の口から零れる絢乃自身の恋愛経験。耀介は何とも言えない気持ちだが、ちゃんと話を聞こうとしていた。
「『篠塚さえ良かったら付き合って欲しい』って。私はその時……好きな人のことは諦めていたから、憂さ晴らしみたいな形で初めての男女交際ってヤツをしちゃったのよね」
「好きな人を諦めた?」
「それは、いいのよ。私の片思い。そんなの十数年以上前だしね」
 絢乃は多少辛そうに笑う。その片思いは苦しかったのか? と言いかけたが、その言葉を耀介は無理矢理飲み込んだ。
「いい人だったわよ。格好良かったし、校内でも人気のある人だったから。篠塚さんが羨ましいなんて言われたりもしたけど……私の気持ち、全部先輩にバレてた」
 窓ガラスに映る夜空を見上げて、絢乃は話を続けた。
「『お前の心の中には、ずっと同じヤツがいるんだな』って。それで別れたの」
 そう語る絢乃は何処か淋しげで、今まで見たことのない表情を浮かべていた。

「二番目にお付き合いした人は、大学に入って直ぐ」
「ちょっと待て、お前何人と付き合ってんだ?」
 耀介が遮るように絢乃に尋ねる。
「私27よ? 年度が替われば28。交際相手が数人いてもおかしくないでしょう? 5人くらいかしら。そこまで多くもない。それにお付き合い、なんて言えるかどうかも分からないような……そんな事もあったわ」
 呆れ口調の絢乃の返答が返って来た。
 幼馴染の事は良く知っているはずだった。でもいつの間にか耀介よりも随分先を、目の前の「近しい人間」が歩いているように思え、耀介はほんの僅かな胸の痛みを感じた。
 その痛みが何かは分からないが、話を進める。
「好きじゃなかったのか、相手のことを」
「……好きだったわよ。でも魂を揺さぶられるような激しい恋愛ってなかったかも」
「随分とドライなんだな」
「さっき言ったでしょう? 初恋の相手に長く片思いし過ぎたのよ」
「じゃあその初恋は……?」
 耀介が尋ねると、綾乃は俯いてかぶりを振る。「話したくない」の合図だった。
「悪い……辛かったんだな」
「ううん、別にねその人に何かされたとか、傷付くようなことを言われたとかじゃないから。辛いって気持ちでもないしね。多分、まだどこかで諦め切れていないんだと思う。今まで付き合った人と別れた理由も、そんな自分の気持ちに気が付いたり、指摘されたりで」
 絢乃の実らなかった初恋は、今もこうして絢乃を苦しめている。耀介は絢乃の表情を見ながら、強くそう思った。正直、そいつを殴りたい衝動にも駆られる。
 絢乃は大切な幼馴染。苦しむ姿は見たくない。
「そいつの事、まだ好きなのか」
 耀介はストレートに絢乃に尋ねる。
「……かもね」
 絢乃は耀介の質問に対して、はぐらかすように視線を遠くへやりながらカプチーノを飲む。

 先日購入した恋愛小説にも、絢乃とは状況が違うが、一途に同じ男を想い続け苦しむ女性を主人公にした作品があった。幼き頃から慕っていた相手に振り向いて貰えない女性の苦悩は、こちらの胸も苦しくなるような世界だった。

「あ、そうそう。すっかり忘れてた。お姉ちゃんからの伝言」
「麻乃から?」
 急に話題が変わったので、耀介は妙な気持ちになる。
「お姉ちゃんは参加できないけど、耀介に伝えてって。明後日の土曜日、夕方の6時から小学校の同窓会があるんだって。6年1組のらしいよ」
「そうか、場所は?」
 意外にもあっさりと耀介が「行く」という意思表示をしたので、絢乃は驚く。
「行くの?」
「何処に題材が転がっているか分からないからな。どうせ都内だろ?」
「ううん、地元の居酒屋。駅前にあるでしょう? あそこ」
「分かった。麻乃には礼を言っておいてくれ」
 淡々とした口調の耀介に対して、絢乃が一言。
「もしかすると、もしかして……ってことがあるかもしれないわね」
「何がだ?」
「何でもありませーん!」
 この絢乃の一言が現実になろうとは、この時の耀介には予測出来なかった。
 何故ならば、絢乃の辛そうな表情が胸に引っ掛かったから――。


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