シャボン玉と紙飛行機

   良く晴れたこんな日は、中庭のベンチで一人ランチもいい。
「ごちそうさまでした!」とお弁当箱をしまいながら、カバンの中に忍び込ませている「高校生にもなって子供みたい」と母親に言われたシャボン玉液に目が留まる。

 学校だけど、飛ばしてもいいかな……?

 辺りに人がいないことを確認して、カバンの中からシャボン玉液のボトルを取り出す。淡い半透明のピンクのボトルが陽に透けて、まるで幼い頃に憧れた宝石みたいに見える。

 ――シャボン玉を飛ばすなんて、いつぶりだろう?
 思い出そうとしても、思い出せないくらい随分と前の話だ。
 何を考えて飛ばしていたのだろう、いや、何も考えず、ただ綺麗だからという純粋な思いで飛ばしていたんだろうな。

 今は、ちょっと違う。
 なかなか伝えられない想いがある。
 大好きなあの人――クラスメイトの男の子。
 彼に届いたらいいな、そう思いながら、吹き具に口をつけた。
 まあるく、美しく輝く球体たちが、空へ飛んでいく。



 空が、青い。
 僕に文才があれば、もっといい表現が浮かぶのだろうけど、見上げる空はただの青だ。
 生徒会の特権、屋上の鍵使用。そっと忍び込み昼食タイム。
 たった一人だけの特別な時間。弁当を平らげて、寝そべる。

 ――今日もあの子は元気そうだったな。
 目を閉じれば、クラスメイトの一人の女の子が浮かぶ。
 溌剌(はつらつ)としていて、笑顔が可愛くて、僕にとって眩しい存在。でも、想いを打ち明けるには僕は臆病すぎて、ただのクラスメイトの域を超えられない。
 どうやったら伝えられるのだろう。そんなことを考えながらルーズリーフにたった一言。
「好きです」と書いて、赤面してしまう。
 ダメだ、ダメだ。恥ずかしいにも程がある。照れくさくなって、ルーズリーフを紙飛行機型に折って空へ放つ。僕の折った想いは、不思議と綺麗な放物線を描いて中庭の方へ飛んでいく。

 ――え? と紙飛行機を追いかけていた視線が、止まる。
 シャボン玉? なんで? と屋上の柵から身を乗り出した。



 会心の出来! と思った大きなシャボン玉が空へどんどん吸い込まれていくように私から離れていく。
 ああ、伝えたいな。上手くじゃなくていいから、不器用でも素直に。
 そう思った時だった。
 あれは、紙飛行機? どうやら屋上から飛ばされているようだった。それは綺麗な放物線を描きながら、私の力作のシャボン玉を先端で割った。
 そして、まるで私のところへ来ると約束されたかのように、紙飛行機が足元に着地する。ただのルーズリーフで折られた紙飛行機。拾い上げて、屋上を見る。
 逆光で見えないけど、屋上から誰かが覗き込んでいるのが分かる。
 その人が大声で「見ないで!」と叫んだ。この声は……!!

 確信は持てないけど、きっと彼だ。
 何か書いてあるの? 妙な胸騒ぎがして、ゆっくり紙飛行機を広げようとした――。



 一際大きなシャボン玉を、紙飛行機が割ってしまった。
 中庭に誰がいるのだろう、と見下ろすと、そこにはあの子がシャボン玉液片手にこちらを見ている!
 まずい、非常にまずい! 紙飛行機がどんどん下降して、彼女の前に着地してしまう。
 僕は精一杯の大声で「見ないで!」と叫び、屋上を飛び出して階段を猛スピードで降りる。
 あんな紙切れ一枚で何が分かるのか。分からないかもしれない。それでも、僕より早くあの子には伝えないでくれ!! どうかどうか――!!

 中庭に着いた時、彼女はもうルーズリーフを広げかけていた。
 間に合った! という安堵。だけど、慌てて階段を全力疾走で降りたので息切れしている。僕はその紙飛行機より先に伝えたいんだ!

「好きです!」

 息切れのあまり通常の声ではなかったが、掠れた声はちゃんと彼女に届いたと思う。
 その証拠に、僕が放った一言のあと、彼女がこちらを見て驚いた表情をしたかと思うと、突然大きな瞳から涙をこぼしているではないか。
 彼女へゆっくりと近づく。

「どうして泣いてるの……?」
「み、見ないで!」

 彼女は制服の袖で涙を拭っている。さっきの僕と同じセリフを言っている。よく見れば彼女の顔は真っ赤になっている。

「伝わった……嬉しくて……」

 伝わった? 何のことだ?

「シャボン玉……君のことを想って飛ばしたの……一番大きくて綺麗なシャボン玉になって、君に届いた」

 彼女の声が、はっきりと僕の心をとらえた。
 僕を想って、飛ばしてくれたの? あの綺麗なシャボン玉を?
 涙の真相を聞いて、僕はたまらなくなって彼女を自分の胸に引き寄せ、しっかりと抱き締める。

 すると――。

「やるねえ、生徒会長!」
「おめでとー!! かっこいいよ!」

 頭の上から聞こえてくる、数多の声。
 そうだ、ここはほとんどの教室から見渡せる中庭だった!!
 急に恥ずかしくなって、彼女を胸から引き剝がす。彼女は泣き顔からぽかん、とした表情になったのち、クスクスと笑っている。

「私も好きです」

 君は僕にしか聞こえない声でそう言うと、今までで一番可愛い表情で僕に微笑んでくれたあと、沢山のシャボン玉を空へ飛ばす。
 僕たちの未来が、この沢山のシャボン玉たちのように輝きだした――。