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80年代 My Best of Best

 土曜日の朝5時から、Inter FMで放送されている番組「Green Jacket」
「80年代のMy Best of Best」のリクエストを募っていて、どうせ、採用されないので、ここに書きます。
<その1>
「思い出も含めて」ということなんで
Boys Town Gangの「Can't take my eyes off you」をリクエストします。
 1981年にスタートしたQRのMiss DJ。
 このオーディションに落ちた女子大生達が、オールナイトフジに流れました。その間に、落ちた子の何人かが、QRの外回り中継車に乗って番組に出ていたのですが、その後、おかわりシスターズになったFちゃんとその友達Kちゃんも中継車に乗ってました。
 当時、私は、QRのレコード室でバイトしていて、彼女たちも、レコード室に、番組でかけるレコードを借りに来ていました。
 その流れで、仲良くなりましたが、彼女たちが好きだった曲が、「Can't take my eyes off you」。
 オールナイターズになったFちゃんに対して、Kちゃんは「あのギャラであの拘束時間はありえない」とモデルのバイトを始め、その後、一回だけ、デートしました。当時はバブル、「アッシー」「メッシー」なんていう「女性が男を選ぶ時代」だったんで、Kちゃんのお眼鏡に叶わなかった私は、オーデションに落ちた模様。
 某ナンバーワンハンバーガーチェーン店のCMに出たのが、Kちゃんの頂点かな。懐かしい思い出です。

<その2>
 「思い出も含めて」ということなんで
Jimmy CliffのSpecialをリクエストします。
 大学1年の夏、渋谷の「TOP DOG」でバイトをしていました。自由が丘が本店のレストランパブ。ある70年代後半のTOP DOGは、サーファーの集まる店として文字通りTOPに位置していて、JJの読者モデルが「学校のあとは、彼とTOP DOGでお茶します。そんな時はクレージュのニットに、、、」なんて紹介されるような店でした。
 しかし、私がバイトをした夏の頃は、先を走るヤツからは「そういえば、そんな店あったな」という感じになっていて、客もJJよりnon・noを読むような客、、、このニュアンス、伝わるかな?それまでニュートラファッション誌は、JJが独走しており(CanCamはこの年に創刊された)、ファッショントレンドも今ほど多様化していなかったので、JJ=いけてる子、non・no=地味目な子、an・an=個性的な子という図式が成り立ってました、、、がかなり多くなっていました。しかし、働いているスタッフは、それなりにいけており、私も「その仲間に入りたくて」バイトしたアホでした。だからその時点でも「俺、TOP DOGでバイトしててシェーカー振ってるんだ」という文句は、今で言えば「俺、クラブで回してるんだ」というのと同じぐらいの威力が、ある種の子=non・no的な子にはあったものです。
 ところが、やはり私は、私。「TOP DOGでバイト」という威力でうまくやれるはずが、全然うまくやれない夏でした。その夏に一番聴いたアルバムがJimmy CliffのSpecial(1982年)。数年前から、レゲエが、通から流行りの音楽に変わり、霞町、という地名はすでにないか、、、今の西麻布に、ピジョンというレゲエクラブもできて、流行っていました。
 TOP DOGのバイト仲間でマスコットガール的な存在の子。顔立ちは上品できれいで、でも、かっこはサーファーで、カジュアル。性格もフランクでよい子でした。同じバイトの女の子にも人気があり、店に訪れるnon・no的な子にとっては「あこがれ」でした。
 Specialを良く聴いたのも、どこかアルバムのイメージと彼女がリンクしていたせいかもしれません。当然「いいな」とちょっと惚れていましたが、高嶺の花というか、社員も含めて彼女を好ましく思ってる男たちの間で「マスコットガール」という形で牽制していたこともあり、仕掛けることもできずにいました。そうしているうちに、彼女は8月いっぱいでバイトをやめてしました。
 こうした熱い夏が過ぎ、秋風が吹き始めた9月も終わろうとしている頃、彼女が店に遊びにきました。ほどよく小麦色だった彼女の肌が、白くなっていることにびっくりしたが、それよりも驚いたのは、彼女のファッション。上から下まで黒ずくめ、全身comme des garcons!。
 このあと、デザイナーブランドブームがきて、ポパイも編集方針が変わり、私も丘サーファーからイタカジに変わりました。トレンドのターニングポイントだった夏でしたが、私のファッションが変わったのは、トレンドの変化でなく、彼女のせいでした。あいかわらずアホな私。

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