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『きおいもん』 第四話

○まる正・お豊の部屋(昼・日替わり)
 老舗の呉服問屋、まる正の一間。
 床の間に飾られた掛け軸、錦絵版画ではなく、
 手描きの肉筆絵、赤い椿。
 床で体を起こし、椿の絵をみつめている、
 まる正の女将、お豊(58)。
 お豊の傍、お栄、栗蒸し羊羹をほおばる。
お豊「いい赤だ」
お栄「本当なら山茶花だったけど。椿はまだちょっと早い」
お豊「いいんだよ。椿で。椿は散るとき、首からぽろっと落ちるだろ? 
山茶花は、花びらがはらはらと一枚一枚落ちてくから、掃除がめんどうだ。ツバキの方が楽でいいよ」
お栄「ふふ。お豊さんらしい」

○重右衛門の屋敷・書斎
 襖を開ける重右衛門、よれよれ。
 芳三郎、重右衛門の後ろから顔を出す。
 重右衛門、死んだ目で、
重右衛門「散らかっていてすまない」
 二人、荒れた書斎に入って行く。
 畳には丸められた絵が大量に転がり、八犬伝の稿
 本、手本の読本が開かれ置かれたまま。
 書机の脇には掛け布団。
 書机とは別に、文机がもうひとつ。
重右衛門「机を用意しておいたのだが、大丈夫そうだな」
芳三郎「へえ。大丈夫でございやす」
 重右衛門、モノをどかしながら、
重右衛門「だいたい永寿堂から聞いているな」
芳三郎「へえ。だいたいは聞いとりやす」
 重右衛門、座って、
重右衛門「ではお前には二巻目を頼む」
 重右衛門、二巻目の稿本を指す。
重右衛門「昨日やっともらえたものだ。とりあえず読んで、挿絵を下書きしてみてくれ。後でみる。私は一巻目の絵の直しをする」
芳三郎「……へえ。かしこまりやした」
 芳三郎、担いでいた文机をおろす。
 重右衛門、自分の書机に座り、
重右衛門「ただ、少し寝させてもらう。夕どき起こしてくれ」 
 重右衛門、布団をかぶり横になる。
芳三郎「……へえ」 
重右衛門「あと、丁寧に話さなくてもいい。普段どおり話してもらって構わない」
 芳三郎、キョトンとして、
芳三郎「……なんだ。いいのかよ。さっきお前んとこのババァに口すっぱく言われたぜ」
重右衛門「……申し訳ない」
 布団の中で目を閉じる重右衛門。
 ×     ×    × 
 書机の上、描きかけの挿絵。
 芳三郎、絵を眺める。
 重右衛門、布団の中で丸まって、
 ぐっすり眠っている。
 芳三郎、絵を手に取り、
 筆使いひとつひとつを細かくみる。
 襖から微かな物音。
 芳三郎、襖を見る。
 小さく開けられた隙間から、咲、芳三郎を睨む。
芳太郎「よう。世話んなるぜ」
咲「……」
 咲、ぴしゃりと襖を閉める。
芳太郎「……やっぱダメじゃねえか。普段通りじゃ」

○まる正・お豊の部屋
 お豊、盆にある羊羹を指して、
お豊「あたしの分もあげるよ」
 お栄、だまって盆から羊羹を取り、
 ようじで切る。
お豊「絵師やめて、占い屋始めたって聞いたから、もう描いてくれないと思ったよ」
 お栄、羊羹をぱくっと口に入れ、
お栄「絵師はやめても絵はやめてない。あたしは錦絵が嫌いなんだ。版元は注文がうるせえし、自分で色もつけられりゃしない」
 お栄、床の間の絵を眺め、
お栄「あたしは絵に色をつけてる時が一番好きなんだ。お豊さんみたいに、こんなあたしにでも、肉筆絵頼んでくれる物好きがいりゃ。いくらでも描くよ」
 お豊、絵を眺めながら、
お豊「あたしはあんたの赤色が好きだ」
お栄「……ありがとう」
 お栄、羊羹を一切れ口に入れる。
お豊「……お栄ちゃん、あんた、紀州の華岡清洲って、有名なお医者は知ってる?」
お栄「華岡流ってやつだろ」
 お豊、自分の乳房を寝巻きの上から
 さわりながら、
お豊「……華岡流ってのはさ、乳の岩を、刃物で切り取んだって。そりゃ痛いだろうし、切った傷は出来ちまうし、岩が出来る前に体が治るってわけでもないから、まっぴらごめんだったんだけど」
 お栄、食べる手が止まる。
お豊「……お福がまだ、商いで教えてもらいたいことが残ってるって、うるさくてね。いっぺん行ってみようか、どうしようか悩んじまってさ。お栄ちゃんさ、あんた決めとくれよ。占いで」
 お豊の顔をみつめるお栄。
 お栄、静かに微笑む。
お栄「……じゃあ次来る時持ってくるよ。占い道具」
 お豊も静かに微笑む。
お豊「……うん。ありがとね。お栄ちゃん」
   
○重右衛門の屋敷・外観(夕)
 屋敷の上、昇りかけた丸い月。

○同・書斎(夕)
 布団にくるまる重右衛門、目覚める。
 起き上がり、開いている障子に気づく。
重右衛門「……」
 重右衛門、障子を開ける。
 芳三郎、縁側で庭をみながら
 団子をもぐもぐ食べている。
芳三郎「おうシゲ。自分で起きたか」
重右衛門「しげ?」
 重右衛門、芳三郎の隣の団子が乗った三方に
 視線を投げつつ、
重右衛門「……何をしている?」
芳三郎「あ、これか? さっき婆さんが持って来た。パサパサして、あんまり甘くねえけどな」
重右衛門「……絵はどうした?」   
芳三郎「そこに置いてあるよ」
 芳三郎、書斎の自分の机をアゴで指す。
 重右衛門、いら立ちながら芳三郎の机に。
 机の上には見事な素描。
重右衛門「! ……これを、この間に?」
芳三郎「ん? ああ。お前が見て、大丈夫ってんなら、明日清書しとくぜ」
重右衛門「大丈夫どころか、すごい。見事だ。明日といわず、今すぐ清書してくれ!」
芳三郎「……野暮なこと言ってんじゃねえよ。まんまるお月さまだぜえ」
 重右衛門、廊下に出る。
重右衛門「おお……」
 庭の空にはまん丸の月。
 芳三郎、重右衛門にだんごを差し出す。
 重右衛門、縁側に腰をおろし、
 だんごを受け取る。
芳三郎「そういやさっきよ、お前が寝てる間、小娘が、襖からこっち覗いてやがったぞ」
重右衛門「ああ。妹の咲だ」
芳三郎「へえ。愛想のねえヤツだな」
重右衛門「(苦笑)この書斎で遊べなくなってすねているんだ。すまなかったな」
芳三郎「別に何もされてねえけどよ」
重右衛門「私のいない間にも、また来るかも知れぬが、相手にしないでくれ。父も母も、咲が物心つく前に死んだんで、つい、かわいそうになって私が甘やかしてしまったせいか、すぐ付け上がる。この仕事の間は、書斎に入るなと言ってはいるんだが……」
芳三郎「おう。わかったよ」
 芳三郎、団子をほおばりながら生返事。
 重右衛門、だんごを少しかじって、
重右衛門「あ、清書もよいが、残りの場面も描いてくれないか? お前の絵をもっと見てみたい!」
芳三郎「……清書しかすることねえぞ?」
重右衛門「?」
芳三郎「全部ちゃんとみろよお!」
 芳三郎、立ちあがり、
 自分の机から素描を束で持って来る。
芳三郎「ほら」
 芳三郎、重右衛門に差し出す。
 重右衛門、確めると、素描は六枚。
重右衛門「……二巻、全部描いたのか?」
芳三郎「お前が描けって言ったんじゃねえか」
重右衛門「全部とは言ってない!」
 芳三郎、さらしの巻かれた右手の拳を握り、
芳三郎「本調子なら、あと倍はいけたな……」
   
○馬琴の屋敷・書斎(日替わり)
 縁側にずらっと並べられた挿絵。
 どれも見事な出来栄え。
 縁側の馬琴、挿絵をみつめながら、
馬琴「……今回は早いな」
 書斎に正座する西村屋、高らかに、
西村屋「はい。やっと北斎先生も、本調子になられたようでして……」
馬琴「……」

○重右衛門の屋敷・書斎
 芳三郎、机で集中して描いている。
 襖をそっと開ける咲、芳三郎の様子を伺いつつ、
 這って中に入って来る。
 芳三郎、咲に気づくが無視する。
 咲、もうひとつの文机に向かう。
 芳三郎、無視。
 咲、文机を、芳三郎の隣に持ってくる。
 芳三郎の机から、使っていない筆を取り、
 咲は絵を描き始める。
 芳三郎、とうとう無視出来ず、
芳三郎「おいおいおいおい。こっちは遊びで描いてんじゃねえんだぞ」   
咲「こっちも遊びじゃありません。兄上の助手は、もともと私です」
 絵を描きながら、キッパリと返す咲。 
 芳三郎、言い返す言葉を逡巡する。
咲「(芳三郎に)手が止まっています」
芳三郎「……」
 怒りを堪え、芳三郎、絵を再開する。
 並んで絵を描き続ける芳三郎と咲。

○同・庭(夕)
 夕暮れ。閉まっている書斎の障子。
 重右衛門、巻物を手に、門から庭に駆けて来る。
重右衛門「おーい芳三郎! やったやった」

○同・書斎(夕)
 勢いよく障子を開ける重右衛門。
重右衛門「三巻目の稿本がもらえたぞ!」
 巻物を掲げる重右衛門。
 机の前、芳三郎、やけに疲れて、
芳三郎「……おう。そうかあ」
 芳三郎の隣に誰もいない文机。
 奥の襖がちょっと開いている。
重右衛門「……咲か?」
芳三郎「お前の声聞いて、やっと出てったよ」
 ×       ×       ×
 馬琴の添削済み挿絵、畳に並ぶ。
 腕組みし座る芳三郎。
芳三郎「……なるほどな。これはこまけえ」
 傍に座る重右衛門。
重右衛門「これでも少ない方だ。最初の頃など、細かすぎてまったく読めなかったぞ」
芳三郎「……女の絵は全部ダメだな」
 伏姫の挿絵、表情、体、バツだらけ。
重右衛門「ああ。女の絵には特に厳しい。ただ、私ひとりでは絶望的だったが、そなたのおかげで光明がみえた! もしかしたら、年の瀬前に終えらるかもしれぬ」
芳三郎「そうしてもらわねえとこっちも困る。手付けに一分、年の瀬前に終わらせたら、もう一分って話になってる」
重右衛門「……恥ずかしながら、私も少々金を借りすぎてな。出来れば早く返したい」
芳三郎「なんだよ。お前、御家人だろ?」
重右衛門「御家人とはいえ末端だ。それに今の時分、町人よりも、侍の方が貧しい」
芳三郎「……なるほどねえ。(小声)だからアイツもカネカネうるせんだな」
   
○定火消し屋敷・中庭(日替わり)
 雲龍水の試し打ちをする重右衛門達。
 雲龍水の水槽から出ている取っ手で、
 中に空気を送り込む数人の臥煙たち。
 水槽から伸びるゴムの先、
 水の出し口を構える重右衛門と哲蔵ら二、三人。
重右衛門「よし、放て!」
 重右衛門、合図するが水は出ない。
重右衛門「何度やっても駄目か……」
 重右衛門、ぐったり溜め息をつく。
 臥煙たちもへとへと。
 哲蔵のみ、精気の宿った顔。
哲蔵「……(重右衛門を睨む)」
 重右衛門、哲蔵に威圧され気味に、
重右衛門「……すまない。今一度、覚え書を見直してみよう」
 雲龍水に集まる重右衛門、臥煙たち。

○重右衛門の屋敷・書斎
 咲、芳三郎、並んで絵を描いている。
 畳には馬琴によってバツのついた女の挿絵。
 芳三郎、煮詰まり気味に、伏姫を描いている。
 そおっと咲の絵を覗く芳三郎。
 咲の下手な絵。
 咲、描いたまま、
咲「下手か?」
芳三郎「え。ああ下手だな」
 咲、キッと芳三郎の顔をみる。
芳三郎「ああ。わりいわりい。子供相手に正直に言っちまった。でもよ。おれが歌川派に入ったのもお前ぐらいだしな。お前の兄貴もそんぐらいだろ?」
咲「……私だって、兄上のように絵を習いたかったのですが、トキが許してくれませんでした。女は絵より、花や茶だと」
芳三郎「……女の絵師もいるにはいるけどな」
咲「花や茶では金は稼げません。トキが、絵を習いに行かせてくれていれば……こうして……えっと、ヨシタロウ?」
芳三郎「芳三郎だよ!」
 しゅんとしおらしくなる咲。
芳三郎「ヨシでいいよ……」
咲「……ヨシのように、兄上の手伝いが出来れば、この家に置いてもらえるのに……」
芳三郎「……」
咲「……ヨシ、合間でいいです。私に絵を教えて下さい」

○同・裏の庭
 洗濯物を取り込んでいるトキ。
 裏庭の縁側に、芳三郎がそうっとやって来て
 あぐらをかく。
 トキ、気付いて、
トキ「……弟子とは仕事をサボっても怒られぬモノなのですか?」
芳三郎「……弟子じゃねえよ」
 トキ、洗濯物を取りみながら、
トキ「ではなんなのですか?使用人ですか?使用人でしたら、なおさら、こんなところで油を売る暇などはないはずです」
芳三郎「……(呟き)ったく、この家の女はうるせえなあ」
 芳三郎、トキに向かって、  
芳三郎「おい婆さんよ」
トキ「……(睨んで)トキです」
芳三郎「……おトキさんよ。あの小娘よお」
トキ「咲さま!」
 芳三郎、イライラしながら頭をかく。
芳三郎「……お咲をよ、ヨソへやるのかい」
 手が止まるトキ。
 トキ、芳三郎の隣にサッとやって来て、
トキ「(小声)誰から聞いたのですか?」
芳三郎「いや聞いたわけじゃねえけど、なんとなくな。娘だからどうかとは思ったが」
トキ「(小声)声が大きい! なにとぞ、咲さまにはこのことを知られぬよう」
芳三郎「いやもう知ってんぞ。多分」
トキ「……」
 トキ、深いため息をつく。
トキ「重右衛門さまの元服前、咲さまがひと つになった頃、奥方さまが。続いて後を追うように旦那さまも。遠縁の、武士の身分を売り商人となった家から、娘でも良いので、咲さまを欲しいと言われました」
芳三郎「ま。よくある話だ」
 トキ、黙って頷く。
トキ「……そう。よくある話です。急ぎ元服された重右衛門さまも、そうお思いになり、幼い咲さまを抱きあげ、涙を流されました」
 芳三郎、刹那しんみりするが、
芳三郎「……アレ? でもまだ居るじゃねえか?」
トキ「私が重右衛門さまにお願いしたのです」
 トキ、遠くをみつめて、
トキ「咲さまを、どの家に嫁ごうとも、決して恥ずかしくない武家の娘として、私が必ずお育ていたしますので、どうか、どうか何卒と……」
芳三郎「全然育ってねえぞ?」
トキ「(睨む)……せめて三つまで、それがのび六つまで、またのびて、九つまでと」
芳三郎「で、今か……」
トキ「咲さまを欲しいというその家から、借金も続けてしまっております。一体いつ来るのかと、最近、催促もうるさく……それできっと、咲さまにも……」
 トキ、切なそうにうつむく。
芳三郎「シゲは、お咲をヨソにやらねえために、無茶な仕事を受けたってことか……」
トキ「……」
 トキ、気持ちを切り替え立ち上がり、
トキ「重右衛門さまです。十五夜も、そう呼ぶことは控えろと申したはず」
 トキ、再び洗濯物をテキパキと
 取り込みながら、  
トキ「私は、侍が内職に精を出さねばならぬこの時勢を憂いております。しかし、旦那様がお決めになったことに従うのが使用人の務め。ですからお前のような者にも、飯を出し、洗濯をし、礼儀を教えているのです。お前もサボらず絵を描きなさい」
 芳三郎、舌打ち。
 洗濯物を取りこみながら、
 トキは腰をとんとんと叩く。
芳三郎「……そういやあの、月見団子、おトキさんの手作りかい?」
 作業しながら、トキ、素っ気なく、
トキ「そうです。買うより安いですから」
芳三郎「だろうなあ。パサパサしてて、甘くなかったけどよ、美味かったぜ……」
 トキ、溜め息。
 芳三郎、太ももを叩いて立ち上がる。
芳三郎「ちょっくら湯、行って来ら」

○日本橋の通り
 通りを歩く芳三郎、独り言。
芳三郎「……ったく辛気くせえ家だな。とっとと終わらせてやる」

<第五話につづく>


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