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うんこなう、あの日の僕へ

うんこなう、あれから10年以上が経った。
まだスマートフォンなんて便利なものを持っている人が少なく、分厚くて重いノートPCでヤフーに付けたお気に入りからツイッターをしていた時代。
純粋に面白いツイートを探し、くだらない日常を呟いていた時代。

いつからだろう。ツイートに意味を見いだし始めたのは――――。



つい最近Twitterを開くと懐かしい言葉がタイムラインに流れてきた。

"うんこなう"

昔毎日のように呟いていたどうでもいい排泄報告だ。学生時代に自分が書いた母校の机の傷を見つけたような、そんななんとも言えない嬉しい気持ちになった。検索欄を開き、入力フォームに「うんこなう」と打ち込む。そこにはあの日見たツイッターがあった。

別にうんこなうは廃れた訳ではなかった。うんこなうは昔から今までずっとここで生き続けてきたのだ。離れたのは僕だった。古き良きツイッターはツイッターの事ではなく、古き良き僕の思い出でしか無かったのだ。

今この時も「うんこなう」と呟いている人がいる。それを思うと力が湧いてきた。

さよなら"うんこなう"。またいつか。

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