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渋谷センター街、松屋で叫ぶおじさんを抱きしめたかった

「俺は一橋卒なんだぞ!!!」


午前5時を少し過ぎた頃、朝定食を食べていると入口食券機付近のカウンターから怒鳴り声が聞こえてきた。

男は泥酔状態であった。着ているものなどを見るからにあまり良い身分には見えない。

怒声を気にも留めずに作業を淡々とこなす松屋の外国人店員には驚きを通り越して一抹の恐怖すら感じる。渋谷では日常茶飯事過ぎて慣れてしまったのかもしれない、そうであったら本当に申し訳ない。こんな街は日本中を探してもそうそう見付からない。


店員の華麗な手さばきを眺めつつ先程のおじさんに横目を遣る。半分突っ伏した状態でもごもご喋っていた。

「やべーのいるじゃん」
「ツイートしよ」
奥のカウンター席に座る水商売帰りの女達がカメラを向けている。

お前らのその行為は犯罪だぞ。そして

"お前たちにあのおじさんを笑う権利は無いよな"

そう私は心の中で思ったのだった。


俺は○○なんだぞ!

唐突に叫び出すおじさんシリーズ、私は幾度か目にしたことがある。ある時は終電の満員電車の中、ある時はパチ屋の前、またある時は駅のホーム。決まって彼らは泥酔状態であった。(最近だとツイッターでかなり頻繁に見かける)


彼らはきっと本来悪人ではない、むしろ真面目で誠実な人間であったはずだ。ではどうしてこうなったのだろうか。それは現在の社会にあると思う。

小中高大と我々はいい成績を出すといい会社に就職でき、幸せな生活を送れると言われ育ってきた。なのに実際はどうだろう、高校大学と勉強一筋で頑張ってきたもののコミュニケーション能力や柔軟な思考を理由に就活では苦しみ社会に馴染めていない人間は多いと感じる。

みんなが遊んでる中頑張ったのに、辛い時期も一人で頑張ったのに、社会は自分を認めてくれない。そして遊んで来た人間のコミュニケーション能力や雑談スキルが評価されたりする。こんな悲しいことって他にあるだろうか。きっとあるんだろう、人生は理不尽だらけだ。


さて、意味のなくなった努力と、積もりに積もったフラストレーションはどこへ行くだろう。そう、おじさんの叫び声として昇華されるのだ。彼らもまた被害者なのだ。


俺はおじさんに花マルをあげたい

世の中には理不尽がいっぱいだ。それはきっと、頑張ってきた人であればあるほど感じていると思う。頑張ったで賞なんてものは存在しないし、むしろその頑張りが悪い方向に向かうことすらある。


だからこそ、私は彼らに"頑張ったで賞"をあげたい。

汗をかきながら横断歩道を走るスーツのおじさん。製品の説明をする営業に来たおじさん。たまにはコーヒーくらいの差し入れをしてもいいじゃないか。ものすら出せずとも「お疲れ様です」くらい言ってもいいじゃないか。
誰も認めてくれないからこそ、私だけは花マルのスタンプをあげたい。人間誰しも、それぞれ頑張っているのだ。老若男女、努力している人間は美しいのだ。



今日も知らないおじさん達は叫んでいる。きっと今こうしている時も、おじさん達は辛い現実と闘っている。不器用な私は思うのだ。上手くいかないことばかりで彼らの気持ちがわかるからこそ思うのだ。このおじさん達の努力も、いつかどこかで実を結んでほしいなと。

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