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【短編小説をひとひら】理系男子による恋愛講座

 夜の10時、児童公園で僕はまたマナミと話していた。指定席はブランコだ。3つ並んでいるブランコのうちの2つがまた、人力でゆっくりと振り子運動をはじめる。

「私もう、これ以上は無理かも……」

 最近、マナミはどんどんThe Endの方向に向かっているようだ。誤解しないでもらいたい。僕とじゃない。ユウスケとのことだ。僕はそれを聞いているだけ。

 ブランコは互い違いにゆれている。キシ、キシと音を立てている。これって体重制限とかあるのかな、どれぐらいの頻度でボルト、ナット締めてるんだろ。

 僕の頭の中はそんな他愛ないことで埋まっていたのだけど、マナミはユウスケのことでいっぱいいっぱいだ。

「近づいていくとそっけなくするし、目が合うと逸らすし、私が他のオトコと喋ってると睨むし。好きだってコクったのは私だから、ユウスケだけが好きなんだって精一杯アピールしたつもりだよ。でもそんなリアクションばっかり。私もう無理。ユウスケは私なんか、ウザイとしか思ってないんだ」

 僕は知っている。
 ユウスケはマナミのことがすごく好きなんだ。好きすぎるぐらい。

 そっけなくするのは緊張してるから。他の男と喋ってると睨むのは単なるヤキモチ。アピールされてるのは内心嬉しい。あいつはいつマナミを誘おうかって考えてるけど、考えすぎてタイミングを逃してる。一言でいえば、不器用なんだよ。

 でも、それがこうも長く続くんじゃイタイよな。マナミが打ちのめされて、諦めようとするのも無理はない。

 僕はどう言ったらいいか分からない。いや、そのまま教えたらいいんだろうけど、それぐらい本人同士で何とかしてくれよ、という気もする。

 落ち込んで、うつむいているマナミはかわいい。
 もう彼女のブランコは揺れていない。肩にかかった真ん中分けのウエーブヘアだけがふわふわと風に揺れている。僕は不意に、マナミを抱き寄せてキスしたいと思った。こういうとき、男はそういう気分になるものだろう。ムラムラっと。

 春だからね。

 それは思うだけ。僕は相変わらず隣のブランコを小さく揺らすだけだ。女ってさ、ブランコみたいに揺れる生き物なんだよな、とまた考える。
 ああ、ブランコほど正確な軌道は描かないね。ブランコの軌道は計算できる。

 マナミだって、僕が人畜無害だと思っているわけではないだろう。

 朧月夜だ。
 辺りには春の匂いが漂っている。
 僕はふと向こう側にある、プラスティック製の滑り台を見た。滑るところが完全に幼児用、大人の尻は収まらないかもしれない。僕はマナミに滑り台の方を指差した。

「え、あれ? キツイんじゃない」

 遠くで急行電車が猛スピードで通りすぎる音がする。僕たちはそれを合図にして、滑り台のほうに移った。

「ああ、何とかギリギリいけそう。滑り台は久しぶり」とマナミははしゃいでいる。
 僕はその後ろについていく。彼女が滑り台の天辺に立って、すうっと滑り下りていく。僕がそれに続いて、すうっと滑り下りる。それを何回か繰り返す。

 僕は、高校の物理で習った斜面上の物体の運動について考えていた。滑り台では摩擦があるから計算しずらい。滑り台も人間も完全に滑らかだったら、どんな感じになるんだろう。それって、滑り台を作る会社で実験したりするのかな。

 完全に滑らかって、どんな条件だろう。

 あぁ、でもそんなことを考えていたのは一瞬のことだ。僕はふと、滑ったあとマナミの後ろに続かずに、滑り台の下り口の脇に立った。マナミはそれに気づかずまた滑り台に上り、下りてくる。

 下りてきたマナミに近寄って、
 僕は不意に彼女にキスをした。
 彼女はびっくりして、目を見開いていたけど、その目を閉じた。
 柔らかい唇。
 髪からだろうか、かすかにジャスミンの香りがする。
 心地いい。

 本当はマナミだって、まどろっこしいやりとりをしたくてユウスケを好きになったわけじゃないだろう。知りたいとか、話したいとか、触れあいたいとか、そんなシンプルなものだったはず。

 でも、それが難しいんだよな。

 僕たちは身体を離して、無言のまま、またブランコに戻った。そして、またブランコを揺らしはじめた。

「ただ………わかってほしいだけなんだよ。あなたには、わかるみたいだけど、ユウスケにはわからないんだろうな……」

 それは、双曲線で説明できるような気もしたけど、マナミにそこから説明するのもはばかられた。

「滑り台をやってる子供を見てるとさ、まあ、円をぐるぐる回ってるような感じになるんだよね。だんだん、誰が最初で、誰が最後かわからなくなる。で、慣性の法則みたいに、えんえん続く。マナミとユウスケもそうなんじゃない?」

 マナミは黙って聞いている。

「抜け出すには……滑り台じたいをやめるか、さっきの僕みたいに一回止まって相手が来るのを待つか、あるいは、子供がよくやるけど、逆に進んで滑るところを駆け上がるかだね。駆け上がるのは、大人に注意されるけど」

 マナミはうなずきながら、少しふっ切れたように微笑んだ。そして、ブランコの柵に腰かけている僕のところに来て、ゆっくりと唇を寄せてきた。
 そっと触れるキス。

「さっきのは実証実験、今のは授業料」
 マナミは優しく微笑んだ。

 おおむね滑らかだなって、思った。


 しばらくして、マナミとユウスケは付き合うようになった。どの方法でループを止めたのか興味はあるけど、それは聞かないでおこう。

 素敵な授業料をもらったしね。

~fin~

BGM The BEATLES「HELTER SKELTER」
(投稿サイト『アルファポリス』にも掲載しているものです)

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