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経験を通じた思考実験Part2

こんばんは。

この記事は気づきの幅(気づけること)が増えた私が洞察の深さを鍛えるために行なっている思考を深めるための内容です。

テーマは『自分』

また事実と解釈を順に並べて行きます。

・幼稚園に時間通りつける可能性10%未満、しかし休日8時前に起きる確率100%
→登園する日、ほぼ毎日遅刻をしていた。
そしてそれが悪いことという認識は一切なし
行きたい時に行き時間が来たら帰るのが当たり前になっているから
しかしそれを先生たちが叱ることも、友達が揶揄してくることもなかった。
それどころか行けばみんな向こうから挨拶してくれて、受け入れてくれていたので、自分が行けばみんなが明るくなってくれるとさえ思っていた。

・買わせる方法を考えていた
→母にお菓子を買ってもらう方法や、幼稚園帰りのコンビニのおばちゃんにどうしたらお菓子やおもちゃを買ってもらえるかをいつも考えていた。
おばちゃんに関してはシンプルで欲しいものを買ってあげるとすでに言って貰えていたので、安いものなかで欲しいものを「これがいいなぁ」とおばちゃんに申し訳なさそうにいい、買ってもらったら最高の笑顔で「ありがとう!」というだけで笑顔になって貰えて、自分は欲しいものが手に入るのでそれが最高に嬉しいし楽しかった。
毎回家に帰る前に母に連れて行ってもらっていた。

・登園時の挨拶率100%
→母の自転車の後ろに乗っかって登園をしていたが、いつも道ゆく全く関係のない人に全力で「おはようございます!」と言っていた。
自分が挨拶した後の人の顔がどうなるのかが気になっていたのと母と幼稚園の先生から褒められるのがわかっていたからだ。
この頃から計算高かったらしい。

・父が嫌い
→父は接する機会が少ないので、知らない人に近い感覚もあった。
だが、自分に対して愛情をかけてくれているのは伝わっていた。
なぜなら、過剰なスキンシップがあったからだ。
そのおかげで毎回肌が荒れていた笑

・人を見て判断して会話していた
→この人はこの言葉を言っても大丈夫。
この人はだめ
と自分の中で多少の区別を持っていた。
それは、他の場面ではこの人がどう言ったら喜ぶかの観察を担っている部分でもあった。

・自分の名前が書けない
→年長の頃に、初めて幼稚園で文字を教えてもらった。
この時自分は全く書けなかった。
鉛筆をどう握ればいいのか?
どこに力を入れればいいのか?
どう書くのか?
全てがわかっていなかった。
また、他の子ができているのに自分はできていない、ということが心底いやで悔しくてないた覚えがある

今回見えたもの
・自分はこの頃から人の目を気にして生きていた
・他人に気に入られたい(承認欲求)という思いが強い
・人の喜ぶ顔を見るのが好きだった
・笑わせることが好きだった
・時間に縛られたくないという思いはこの頃から強まって来ている
・競争心があった(負けず嫌い)
・書けなくて泣くということは全力だったことの証明

今回はこんなことがわかりました。
幼稚園頃に、人格のコアな部分が育つのだとか。

だとしたら
あなたはその時期にどんなことをしていましたか?

またお会いしましょう。

ここでいただいたモノは全て僕の冒険に使います。