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心の島・小笠原−1 島トマト

小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。

トマトが有名になったのはいつからだろう?

小笠原の特産品としてトマトが有名になったのはいつぐらいからだろう。1990年初めて行った頃は、珍しい野菜果物といえばパッションフルーツとシカクマメぐらいだったような気がする。パパイヤなんかは民宿のデザートで出たような気がするが、農協で買えた記憶はない。お土産で持って帰るとしたら、知り合いが庭先に実ったのをくれたぐらいだったような。

すぐに資料が出てこないのであいまいだが、2000年のはじめぐらいに、母島の農業者を取材して、そのときには母島で作っていたのは桃太郎8という普通サイズのトマトだった。何軒かの農家が連携して、通販の体制も整えようとしていたと思う。
だが、今、母島ではミニトマトが主流だ。写真に使っているのもミニトマトだ。これは本当に味が濃くて、酸味と甘味のバランスがとても良く、箱で買ってもパクパクつまんでしまってすぐなくなってしまう。
数年前はアイコという尖った形のミニトマトもあったように思うが、今年、母島に行ったときに農協の売店を見ていると、出ているのはほぼ、丸い形のミニトマトだった。
お土産にも手軽だし、見た目が真っ赤だし、シーズンである1〜4月終わりぐらいに島に来た観光客は競って買っていく。

大玉トマトの美味しさ

もちろんこれもとても美味しいのだけど、私は普通サイズ(大玉)の島トマトの美味しさが大好きだ。
今は大玉は1軒しか作っていないと思う。父島の森本農園。森本香さんという女性が農園主で、北袋沢という小港海岸の少し手前にあるところだ。
初めて会ったとき(多分30年ぐらい前)もう香さんは農業者として島にいたのか、まだ就農希望の状態だったか覚えていない。けれど、その次会ったときはもう農家になっていたと思う。まだ結婚する前で一人で無農薬の野菜を作るのに奮闘していたと思う。

香さんは島に移住した当初は一人で頑張って農業をやっていた。やがて森本農園の主だった森本智通さんと結婚して、2人で農薬を使わずに美味しい野菜を作るために尽力していた。智通さんが亡くなった後は、小笠原での農業を目指す若者を雇用し、多品種の野菜をつくり、島の人たちにむけて島のスーパーや売店に卸している。私が初めて島に来た頃は、みんな島の人はおがさわら丸で運ばれてくる内地の野菜を買っていた。「島野菜」という言葉が定着したのは、香さんのふんばりが大きいと思う。
島外のファンが買えるのは、このトマトがメインなのだ。

その写真がちゃんと撮れていなくてアップできないのが悲しい。しかし、見た目はミニトマトほど目を引かない。なぜなら、森本農園のトマトは青くて完熟なのだ。

もちろん置いておけば赤くなるが、青い状態でもうおいしい。昔のトマトそのままに、青臭い味が広がった後、酸味とさわやかな甘味がつきぬける。そしてなんて表現していいかわからない、旨味。
フルーツトマトみたいな作り込まれた美味しさではなくて、無骨でシンプルなおいしさ。加熱料理に使ってもおいしいけれど、私はいつもただ塩と、時にはパセリを散らすだけでバクバク食べてしまう。森本農園のトマトがある食卓は豊かだ。1年中食べられないことがその豊かさを高めている。旬に食べるという意味をしみじみ思う。

春先の観光客は、真っ赤なミニトマトを競って買う。
しかし、大玉のトマトはなかなか手にしない。青いから。
「これはおいしいんですよ!」と一人ひとりの手に渡して回りたい気持ちになる。
森本農園で作っているのは、今やいくつにも分かれた桃太郎の大本の、元祖・桃太郎だそうだ。作るのにとても手間がかかるが、これを育ててきた先人の教えを受けながら育て続けてきた、と、島から届いたトマトの入っている箱に説明書きがあり、そう書いてある。

しかし、今年来た年賀状にはショックな文言があった。
従業員が独立し、農家となって活躍する一方、新規の従業員を雇いたくても、人手不足で雇えず、このままだとトマトやセロリ(これもまた大評判で、トマトと並び島外からも買えるものの1つ)の生産を諦めなければならない事態となっている、というのだ。

今年は販売を農協に委託することでなんとかトマトは島外に旅立っていったが、今後も同じ問題は続く。
トマトのことだけではなくて、ずっと安全で美味しい野菜を作り続けてきた農園の存続は、島にとってとても大事なことではないかと思うのだ。

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