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心の島 小笠原−25 島にいても遠くとつながれた

島は、物理的に海によって他の陸地と隔てられているから、突然夜中に「別の場所のあの人に会いたい」と思っても簡単には行かない。交通手段がある時間帯に、切符を買うとかいろいろ手順を踏んで出ていかなければならない。沖縄の首里に住んでいる友人は「車でぶっ飛ばしても、どこにいってもすぐに海に突き当たっちゃうんだよね」と言っていたことを思い出す。
そんな中でも、島にいながらにして外とつながることもあった。2009〜2010年のとき、Twitterはとても有益な手段だった。


小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。


Twitter(現X)が日本に入ってきたのは2008年だそうだ。Twitterのデータアーカイブをダウンロードして確認したところ、私の初ツイートは2009年の10月12日。
たしか、八丈島情報発信チーム8jo(@team8jo)が立ち上がり、伊豆諸島や島の人たち、つながりましょう!と呼びかけたのを目にして早速私もフォローし、向こうからもフォローされて伊豆諸島の色んな人とつながった(今もつながっている)。
team8joは、まだ東京都が島しょ部に力を入れる前に、自分たちでPRをしよう!と呼びかけていたのだ。
このおかげで、1つの台風がマリアナで生まれて小笠原を通り過ぎ、伊豆諸島に行くときに状況を呼びかけ合ったりして連帯感が生まれたりした。

このつながりで、各島を訪れているリピーターさんとつながったり、以前小笠原に調査に来ていた研究や元住民などともつながっていった。
ちょっと書いた愚痴をうけとめてもらったり、励ましてもらったりということもよくあった。
一番鳥肌が立ったのは、母島の前浜で拾った木の実がなんだか分からずに写真を掲載したところ、内地に住んでいるフォロワーさんが調べてくれて、情報が乗っているページのリンクを送ってくれて正体がわかったこと。
日本ではまだ数人しか(?)拾っていない、マリア豆という木の実だったのだ。
送ってくれたサイト
https://www.waynesword.net/plmay96.htm
私の豆

この当時、Twitterは私にとって島ぐらしの結構重要なコミュニティだったのだ。当時ブログも日記も書いていたが、Twitterはもっと気軽だったので、なんでも無いことをあれこれ書いていた。逆にそれがブログや日記からは抜けていたりして「えっ、そうだったんだ」ということも思い出す。

@motherisle  2009年12月12日
島から人影が消えた。なんでかっていうと、今日、父島で開催される父母スポーツ交流大会に出るため、多分100人近い人が父島へ行ったから。村がそのためにははじま丸をチャーターしました。すげーなー。“
 
えっ、そうだったんだ! こんなことあったんだ! と思ってしまう。
これはこれで、貴重な島ぐらしの記録なのだった。

未だに直接会ったことがない人も多いけれど、今もつながっている人たちは、なんというか、「ああ、あそこにあの人がいる」と思える安心できる存在なのだった。

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