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心の島 小笠原―28 なんのために生きるのか・生きてきたのか

小笠原に(短期間とはいえ)移住したのは、文章を書くためだった。
小笠原をテーマにしているのに、ときおり、実感を伴わない、「〜であろう」と、
推測を交えて書かざるを得ない部分があった。
それを、自信を持って「〜だ。」と句読点を打って書き終わるには、やはり自分も小笠原の1年の流れを体験するべきだろう、いや、しなければいけないと思い、かなりの見切り発車で島へ行った。
しかし、本当に効率の悪い人生を送っていると、つくづく思う。


小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。


初めて小笠原に行ってから、自分にとって、小笠原で展開される自然保護の動き、そこで暮らす々の生きざまなどを知り、それを書くことは、物書きとしてのライフワークとなった。物を書いている人間にとって、打ち込めるテーマと出会えることは奇跡というか僥倖というか、かけがえのない財産なのだ。
仕事で取材費をいただいて滞在したこともあったけれど、ほぼ大半は取材費は自前で、原稿料だけが収入という感じで、完全に赤字。小笠原のこと以外のライターや編集の仕事で稼いで、その稼ぎを小笠原につぎ込んでいる状況だった。

インプットとアウトプットでいえば、インプットに注ぎ込みまくっており、でも、本気で自分のテーマと取り組みには金勘定に支配されてはいけないという、ドキュメンタリー作家やライターの先輩方の言葉を真面目に信じて、わずかのアウトプットと大量なインプットに励み続けていた。

そして、あまりに島に注ぎ込みすぎてあと2ヶ月ぐらいで貯金がなくなるだろうという危機にみまわれ(当時、14年間に続けていた小笠原に関するNPOの内部でいろいろ問題があり、追い詰められて鬱になってもいた)、求人サイトで条件に合いそうなものを探し、運良くありついたのが、その求人サイトの記事を書く仕事だった。

当時はこの仕事の原稿料はとても良かった。この仕事に巡り合ったおかげで、0まで秒読み状態だった通帳にプラスが加算されるようになり、数年経つ頃にはプラスがどんどん増えた。
しかし、同時にものすごく忙しくなった。だいたい1社1.5〜2時間ぐらいの取材を、1日ほぼ2本、1週間に5日びっしりやっていたので、365日原稿を書き続けないとならなかった。
原稿のデッドは中2日で朝10時までに入稿というスケジュールだったので、書き飛ばしに書き飛ばして、文章は荒れまくった。しかし、貯金は増えた。使うヒマがなかったのだ。

毎月、稼ぐ金額の上限を決めて、それ以上の依頼が来ると断るようにしていた。この仕事以外の仕事もしていたので、そうしないと他の仕事をする時間がなかった。

それでも小笠原には1年に1回は行っていた。だけど、フリーランスの怖いところは休んだらその分収入が少なくなるところで、となると1週間(現地は3泊)空けるのが精一杯。テーマを追いかけたくても時間がない矛盾に悩むようになった。

そして、リーマンショックがやってきた。求人媒体の掲載社数はガクッと減り、不動産投資のような会社が増えて、取材していても面白くなかった。「がんばりしだいで入社1年目でも1000万手にすることも可能です!」などと書くのは、心が痛んだ。審査があるので本当に怪しい会社は掲載されないが、それでもグレーな会社は世の中にたくさんあり、取材していても怪しさが滲んだり、今ならば女性蔑視として訴えかねられないようなことを平気で言う社長の会社などは、原稿に縦読みで「やめておけ」とか入れられないか本気で思ったりした(実際は、私が書いたものは素材であり、媒体と掲載社がリライトするので、そのまま載ることはないし、改行も思ったようにならないからそんなことできないのだが)。

媒体のリニューアルも数回行われ、その都度、原稿料が下がっていった。
その時だ。島に移住しようと思ったのは。

……これは、この先ずっと続けているのは難しいな。 そう思って、ほぼ10年以上、ろくに寝ないで書き続けたお陰で今までにない金額が入った通帳を見た。
小笠原の1年を体験するのは今しかない。このまま都会で暮らしていたら、この数字がどんどん目減りするだけだ。ならば、前から考えていた島を取材しながら1年過ごすということを今、やってみよう……。そう思ったのだった。

ここで、貯めた金を元手に、起業しようとか思わないところが、私という人間なのだった。
というか、もうこの時点で40も半ばを過ぎていたので、老後のために投資しようとか、定期預金にして手を付けないようにしようとか、そういうことを考えるのが常識的な生き方だと思う。

しかし、そういう方向ではなく、やりたいと思うことをやらないで死ぬよりは、年老いて野垂れ死んでも、やりたいことをやっていこう! という方を選ぶのが私なのだった。
だから、この求人媒体の仕事をしていたとき以外は常に貧乏だった。今ももちろん、そうだ。

島に行ったからといって、世界遺産になる経緯……というか、そのために揺らぐ、島の人達の気持ち……を取材したからといって、それが移住の期限と決めた1年後に戻ってきたあと、本になるとか、どこかで連載できるとか、そんなあては一切なかった。
だけど、今島に行かなかったら一生後悔するだろうと思った。

結果、島から帰ってきて小笠原に関する本を4冊書くことができた。島に行く以前に1冊書いていたので、計5冊。もうすぐ6冊目が出る。
といっても、書籍では、よほどの部数が出ない限り大儲けなどできない。
30年かけて取材して、自前でつぎこんだインプット代にくらべ、アウトプットで得た金額はあまりに少ない。実際に、今現在もかなりな経済危機に落ち込み、老後生き延びることができるのか毎日考えている。だけど、金額ではないものを得ることはできた。それは、経済とは比較できない。

島に行こうと思ったあのときにタイムマシンで戻ったとしたら、違う道を選ぶだろうか?

たぶん、やはり同じことをするだろうと思う。
経済と、やりたかったことを実現した達成感をくらべたら、やっぱり後者を選んでしまうと思う。
まあ、多分に負け惜しみも入っているけど。

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