心の島 小笠原−23 私のネコ
2009年、母島に住民票を移したとき、飼いネコを連れて行った。小笠原が世界自然遺産登録を目指していたこの時期、ネコを連れていくというのは結構、思い切ったことだった。2匹飼っていたうちの1匹は葉山に住んでいる友だちに預け、メスの1匹を連れて行った。
小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。
小笠原の友人には、自然保全関係の仕事をしている人が多く、外来種であり、希少種の鳥などを捕食している山にいる飼い主のいないネコ、いわゆるノネコの捕獲事業に関わっている人もいて、その人達に「ネコ1匹連れて行く」といったら「えーーー?!」といわれた。
当時私はネコを2匹飼っていたが、1匹はオスでやんちゃで野性味が強いので、小笠原に連れて行ったら絶対脱走して、それこそ希少な鳥やオオコウモリを襲う可能性があった。なので、このネコは色んな人に「1年預かってくれないか」と頼み、ようやく「いいよ」といってくれた友達夫婦に託した。
連れて行こうと思った方のネコは、生まれたその瞬間親ネコに見捨てられ、へその緒をつけたまま保護されたネコで、初乳も飲んでいない。生後1日から私が育てたので、自分をネコと思っていないネコで、私がそばにいればそれで満足なので脱走するおそれもなしという性格だった。名前はマウムといった。
当時は25時間半かかった東京港竹芝桟橋から父島。数年前からできたペットルームを取り(子ども料金相当が必要)、に入れると、神経質なマウムは母島に到着するまで水も飲まず食事もせず、排泄もしなかった。辛かっただろうに、よくがんばってくれた。
当初はお世話になっていた方が経営しているペンションのヘルパールームをタダで貸していただいて、そこは3畳だったが思った通り、マウムは私がいれば不平はないようだった。ただ、びっくりしたのは横浜ではそういうことを一切しなかったのに、ドアの網戸の下をすり抜けて、ヘルパー部屋(スーパーハウスみたいな作りでひと部屋ずつ独立していた)の周りをこっそり歩き回っていたことだった。
小笠原では、風さえ通ればクーラー無しでも涼しいことが多いので、都営住宅も、一般の住居も、そしてこのヘルパールームも、入口のドアを開けて風を通せるように折りたたみ網戸がついているのがデフォルトだった。網戸を開けるときは横にスライドすると網部分がプリーツ状になり折り畳める。そのプリーツの下部分は、折りたたむためにサッシに密着していないので、どうしてもすきまができる。どうやらそこをくぐって出たらしい。
「マウムちゃん、外歩いてますよ」と別のヘルパールームにいた子に言われてびっくり、慌てて外に出るとすぐそこにいたのですぐ回収して部屋に入れる。どうやら、私が見ているときはやらないが、PCに向かっていたりなどして目を離していると、抜け出したくなるらしい。振り返ったらプリーツ部分を潜ろうとしているおしりが見えた。
あわてて胴体を掴んで中に入れ、以後はドアを締め切るようにした。
驚いた。マウムはなにか新しい行動をするときは、必ず私の方をじーっと見て「いいの? やっていいの?」と反応を見てからやるネコだったので、びっくりしてしまった。世界自然遺産になる島の変化を取材に来た自分の立場としては、絶対に外に出してはならないので、注意するようにした。
その後、六畳一間のアパートに移ったときは、2階で、ここのアパートにはドアの網戸はなかったので、風を通すときはつっぱりだなを柵のかわりにして立てかけて、マウムが出ていかないようにして、ベランダに通じる窓の網戸を開け、風を通していた。ところが、当初、この網戸が盛大に破けていた。部屋のクーラーは壊れてしまったので、窓を開けないという選択肢はない。ゴキブリやヤモリの侵入を恐れながらも開けていたら、そこからまたマウムが散歩に出て言ってしまったようだ。
しかし行ける場所は狭いベランダだ。アパートは2階建てで、2階は横並びに3部屋あり、私は真ん中だった。ベランダは3部屋ひとつながりで仕切りがなかった。なのでマウムはそこを歩いていたのだ。隣の部屋の網戸が開いていると、部屋にも入ってしまったようだ。となりのSちゃんの部屋にはよく入っていったようだ。「昨日入ってきてましたよ」とよくいわれた。Sちゃんはネコ好きだったので幸いだった。
マウムはネコにしては運動神経がなかったので、2階から1階に飛び降りる根性はなかった。それでも、手すりに昇って落ちてしまうのではないかと、出ていったことが分かるときはすぐに回収しにベランダに出たものだ。そして、通販で網を買い、友人に頼んで網戸を張り替えてもらった。
秋田の牛小屋で生まれたものの目が開かないうちに横浜に連れてこられ、その後は一切外に出たことがなかったマウムに、小笠原の風景を見せてやろうと、リードを付けて抱っこして散歩に連れて行ったりもした。展望台から海を見せたり、砂浜に下ろしてみたり……。すごく嫌がった。しまいには私がリードを手に持っただけで逃げたので、以後は散歩はやめた。
1回、部屋にヤモリが入ってきたときは、興奮して鼻をふくらませて「フンっ、フンッ、フンッ」と鼻息を荒くしていたが、捕まえようとはしなかった。でかいゴキブリ(固有種)が出たときには、ワーワー騒いでいる私の横でまるで無視。狩猟能力のないネコだった。というわけで、幸い、というか、当然というか、脱走してノネコになったり、鳥を襲ってくわえてくるなどということなく島から帰ってこれた。
私の勝手で、1年3ヶ月もまったく未知の島に連れてこられて、マウムはどういう気持だっただろう。どんなに暑くても、私が寝ているときは必ずベッドに昇って、一緒に寝ていた。悲しいときや、人間関係で泣いていたときに、いつもそばにいてくれた。
マウムがいなかったら島ぐらしのいろいろな局面は耐えられなかった気がする。大事な、大事な存在だった。拙著『小笠原が救った鳥』(緑風出版)には、こっそりマウムの写真を入れている。
そんな大事なマウムは、2020年、15年4ヶ月で天に昇ってしまった。
今は、友達夫婦に預けていったオス猫が私のそばにいる。
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