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「頑張る」という悪い日本語

「もったいない」という日本語が世界に広まっているそうだ。どうやら他の言語にはこの言葉の持つニュアンスを適切に表現する単語が無いようで、環境保護を訴える活動の中で使われているらしい。「もったいない」は、世界に誇る「良い日本語」と言える。

だとすれば、「悪い日本語」だって存在するのではないか。私が思う悪い日本語は、「頑張る」だ。


例えば、英語で「頑張れ」は(色々な訳ができるが、代表的なものは)"Do your best"という。直訳すれば「ベストを尽くせ」だ。
「頑張れ」と「ベストを尽くせ」の最も大きな違いは、明確な目標が想定されているか否かにあると考えている。「ベストを尽くせ」は、最良のパフォーマンスを発揮させることを目標として、そなために必要なことをしろ、というニュアンスが伝わる。一方、「頑張れ」はそのような目標が念頭になくても使うことができる。

例えば、マラソンを走る選手に「頑張れ」と声をかける。その言葉が「ベストタイムを出せるようにペース配分を守れ」という意図なのか「苦しいだろうが我慢しろ」なのかは聞いた人には分からない。いや、言った人も考えていないかもしれない。それほど「頑張る」は意味が広く、そのため汎用性が高い。

しかし、それゆえに「頑張る」という言葉全体が「苦しみに耐えて我慢する」というニュアンスを含んでしまっているように思う。

日本人は、何につけても「頑張れ」と声をかける。深く考えずに使えて便利だからだ。その結果、人生は「頑張ること」で埋めつくされる。
勉強を頑張り、仕事を頑張り、子育てを頑張る。終活も頑張るとなれば、人は物心ついた頃から死ぬまで頑張り続けることになる。
もちろん、何の苦労もせずに人生を生きろという話ではない。時に目標に向けて努力することは大切だ。しかし、「頑張る」という言葉に縛られて、自分の人生の大半を「我慢する」ことに費やしてはいないか。


私は、我慢して苦しみ続ける人生を脱却するために、「頑張る」という言葉を使わないようにすることを提案したい。
「勉強を頑張ろう」と考えるのをやめる、目標を明確にし、「赤点だけは取らないようにしよう」「英語で70点以上を取ろう」と考えるようにする。
もし「仕事を頑張ろう」という考えが「上司の小言に耐え続けよう」と置き換えられるなら、恐らく会社を辞めた方が良い。その先に幸福など待っているはずがないからだ。

心の底から叶えたいと願う夢を目標とし、そのために必要なことを自主的に行っていれば、その営みを「我慢する」と認識することはないのではないか。どうか、あなたの人生が我慢で満たされませんように。

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