東洋医学と、靈氣〜未病とスピリチュアル

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新します。

三月末から未病づいてます。
まあ、難知性疾患のサポートとか、がっつり
かっつり療法家復帰を決めたのは自分だから
間違いではないと思われますが。
また望んだ球がすっ飛んでくるのも靈氣でして。
まあまあ、全力で受け止めてみなさいよ的な。
今更のようですが、未病について説明しますと
「不調はあれど、病気じゃない状態」のこと。
コロナでわかりましたが、医療関係者のいう
「重篤」と、一般人が考える「重篤」には
開きがあるのです。
同じように医者のいう「病気」と、一般的に
考える「病気」には、きっと開きがある。

これ、スピリチュアルでも言えるんです。
一般的に言われる「力」と、業界的に言う
「力」は決してイコールじゃない。
しかも、力とか厄災って体感だから、だいぶ
ヤバいのに「普通」って言う人や、ぜんぜん
なんともないのに「厄災が」って言う人に
どう伝えたら……と、悩むところなわけで。
伝え方間違うと、響かなかったり逆ギレ
されたり、いろいろするわけで、まあ難しい。
結局どちらにもいえるのは「不具合とか
不都合がなけりゃ、いいんすけど」みたいな
主観的なうすらぼんやりした話でしかない。

この仕事長くしていますが、どうも人に
提案していくのが苦手でした。
提案しても聞かない人は聞いてないし、
「いつかは」「落ち着いたら」とか言って
いる人は、まずやる日は来ない。
「お金があればやる、は、永遠にやらない
証拠」と言われて育成される世界で、それを
骨身に入れた人からようやくスタートラインに
立てるのがスピリチュアル。
どんな言い訳も、結局は単なる言い訳じゃん、
というのが精神世界。
完全自己責任のルール領域において、「やる気は
あったんです」なんてもの、なんの役にも
立ちはしないわけです。

未病を「未」のまま終わらせるか「病」まで
育ててしまうのかは、本人次第。
そして靈氣では現実のあらゆる問題を「病」と
解釈し改善に当たります。
そこで最初に向き合うのが「直靈」という
課題。
かつて自分がいた組織の教育に従い「直靈」を
体感し教授していましたが、つい最近
「直靈とは、素の真っ直ぐな心」という
解釈を知りまして。
神道系の解釈だったと思いますが、まあ
聞いた瞬間目からウロコでございました。

提案をする、それを受ける。
これってまさに「直靈」の世界で、確かに
見えない世界特有の感動体験ができた方って
ほぼ全員これなんですよね。
素直さは財産。
第三チャクラ(太陽神経叢、みぞおちの位置)
にある純粋さ、それは貴方の中に眠る
ダイヤモンドみたいなもの。
その曇りを神道では穢れと呼ぶのかもしれません。
うちなるダイヤにピカピカの輝きが戻れば
無垢に素直に無邪気な「直靈」が動くように
なるのかもしれませんね。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。