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ラスボス戦にオープニング曲が流れるの嫌いな人類いない説(FF4)

※この記事は、この世に生を受けた一介のVtuberが好きなことを好きなように語った随筆っぽいものです。

前回から随分と間が空いてしまった。申し訳なし。
というのもお陰様で動画編集だ配信だコラボだとものすんげぇ盛況でして。嬉しい悲鳴というやつです。

とはいえFF14の実況をしているくせに2回連続でFF以外の楽曲について語っている個人勢Vtuberこと荒塚オガミ、開き直って今度はタイトルからネタバレをぶちまける方向に舵を切りました。
FF4自体が30年前の作品なので流石にご容赦いただきたい…30年前…1991年7月19日発売…マ…?????


年月の移り変わりを自覚してSANチェックをしたところで、本日のテーマは往年の名作、FF4である。今回は楽曲の話をする前に、筆者とFF4の関係について軽く触れておきたいと思う。

なんで今更FF4よ

遡ること俺がまだ未成年狼の頃、親戚狼から借りたスーパーファミコンソフトが表題のFF4でした。
初めてFFシリーズに触れたのがFF4であり、何ならRPGというものにすら殆ど触れたことがなかった。そんなんだから、主人公たちと共に苦難を乗り越えていくという体験は非常に印象的で、

幼いパロムポロムの双子が身を挺してパーティメンバーを救った姿は心にクるものがあり、
男だらけのパーティになった辺りであんま話を聞かなかったせいで磁力の洞窟への行き方が分からなくなり、
何とか進めてゾットの塔でバルバリシアにボコボコのベコベコにされ、
ゴルベーザ&こくりゅうで暫く詰み、
話を聞かなかったせいで溶岩の乗り越え方が分からなくなり、
その後はとんとん拍子で月のラストダンジョンまで行ったものの最強装備を守るボスたちに苦戦し、
フェイズの姿に恐怖し、
フェイズの姿に恐怖し、
フェイズの姿に恐怖し、

いや、フェイズマジで怖すぎでは…?
(知らない人や忘れた人は「FF4 フェイズ」で画像検索してほしい。マジで怖いから)

周りがレッドドラゴンとか暗黒魔導士とかベヒーモスとか比較的ファイナルなファンタジーをしてる中でいきなりケーブル剥き出しのクソデカ生首が出てきたらアカンやろ…子供泣くぞ…。
(完全に余談だが、筆者はファミリーコンピューターのホラーゲーム「スウィートホーム」のせいで夜眠れなくなったことがあるし、初代MOTHERの幽霊屋敷は今でもちょっと身構える。何でドット絵のホラー表現ってあんなに強烈なんだろうね)

とまあ、そんな紆余曲折を経てラスボス戦、みんなお馴染み「いいですとも!」で一度は退けたゼムスがゼロムスとなって蘇り、頼みのクリスタルも闇の力に染まったゴルベーザが使っては有効打たりえず、その想いは弟である主人公のセシルに引き継がれる…。

というところでカメラは地球に移り、これまで旅を共にした仲間たちやお世話になった人々が月に向かって祈りを捧げる、という場面で流れるのがFFのメインテーマなのである。(本題に入るまでえらい長かったな今回

ハード移行による表現力の向上とドラマ性

ここで語らなければならないのは、これまでファミリーコンピューターで展開していたFF1~3と比較して大幅にハードの性能が向上したFF4、という位置づけであろう。
性能の向上は当然BGMにも多大な影響を及ぼしており、これまで電子音でしか表現できなかったものがよりリアルな音源で表されることとなった。
今でこそ生演奏やサンプリング音源は当たり前だが、ゲームから楽器風の音が流れるのは当時としてはそれはもう画期的だった。
(「戦闘 ゴルベーザ四天王」などは今もなお語り継がれる名ボス戦曲の代表格だろう。植松ノビヨ師匠はやっぱ今も昔もすげーんですわ)

そしてこれは「メインテーマ」にも言えることであり、まず出だしのストリングスの音質も音圧も音数も桁違いなわけだ。
最初の「ファー」という音の響きと厚みだけで、パーティ外の仲間たちが月にいる5人を想うあの場面を思い出す程に、映像と音とが密接に結びついているのである。
そしてそこに重なっていく勇ましく駆け上がるトランペット、重厚な低音と打楽器が重なれば、夢見る少年少女にとってそれはオーケストラになる、と言っても過言ではない。いややっぱ過言かもしれない。オタクは誇張表現しがちだから許してほしい。

ともあれ、FFシリーズは今でこそ数多くあれど、俺の中ではメインテーマの思い入れに関してはFF4が一番かもしれない。
思い出補正の懐古厨と一笑に伏されればそれまでだが、人間は時に思い出を杖として荒れ地を歩む生き物である。これを読んでいる貴方にとっての杖が何なのか、機会があればぜひ語ってほしい。それもまた素晴らしい杖なのだから。

閑話休題。
また、この「メインテーマ」の与えるイメージが実に憎らしいほど見事で、歌うような、そして記憶に残る壮大なメロディーが場面に応じて様々な効果をもたらす。
オープニングならばこれからの旅路の果ての無さを予感させ、今回のようなラスボス戦ならばこれまでの旅路の厚みと深さを思い起こさせる。
遡れば初代FF1でも、ガーランド戦後に直った橋を渡る際に壮大な冒険を示唆するモノローグに合わせてメインテーマが流れたように、メインテーマは旅や物語を象徴するテーマと言える。(そりゃまぁメインのテーマだから当然なのだが
そこに仲間たちの激励の言葉が加わったならば、その効能は二重三重に膨れ上がって我々の感情を揺さぶってくる。これはもう王道にして至高、いつの時代であってもオタクくんはこういうのが大好きなのだ。

人類は元気玉で振り返るのが大好き

そう、この「これまでの旅路に想いを馳せながら、これまで出会った人たちの想いを受けつつ、旅路の果てに待ち受ける巨悪に立ち向かう」という展開、実に王道でベタでよく見る光景で、だからこそ“良い”のである。
前回語った大神の「太陽は昇る」然り、他に代表的なところではWILD ARMS 2ndも有名だろう。(ネタバレめいた内容になってしまったが、上記2作品はたとえ多少知ってても十分泣けるので多分問題ない)

こういった展開は得てして“元気玉展開”と称されることが多い。名作漫画ドラゴンボールの孫悟空の必殺技になぞらえた、みんなの力を結集してラスボスをぶっ飛ばすやつ。
王道でベタでよく見る光景と称したものの、王道は広く強く心に残るからこそ王道で、それは(然るべき場面ならば)いつ何度見ても心に響くものである。

旅の中で出会った人々が、何故主人公たちに、何故プレイヤーに勇気づけられ、感化され、それ故に今どんな想いを伝えたいのか。
それは数十時間に及ぶプレイ時間の重みと同義であり、加えて言えばその“時間”はゲーム内に留まらず、親の目を盗みながら、毎日学校から急いで帰りながら、両手の指で長い道のりを歩んで、時に怒り、時に悲しみ、時に喜んだ己の経験ともイコールである。(言い過ぎ感はあるが筆者の思い出補正に免じて許してほしい)
そしてそれらは得てして上記2曲含め印象的なBGMに紐づけられたものであり、思い出深い名曲として後世にも、後のシリーズにも引き継がれている。

故にこの「メインテーマ」、物語の演者たるキャラクターたちと、物語の担い手たるプレイヤー自身双方の万感の想いが込められた曲として、殊更に感慨深いものになっているわけである。



…その感動的なテーマの後に流れる絶望的なラストバトル曲に乗せて放たれた無慈悲なビッグバーンでパーティが壊滅して、数度のリトライの末あまりの勝てなさにレベル上げに戻るかつての俺、というオチがつくんですけどね…リディアどうして一撃で吹っ飛ぶん…?

そんなんだから何度も何度もあのシーン見たんすよ…だからまぁよく覚えてるわけで…こういうのも含めて思い出補正ってことっすよね…。

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