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いてもいなくても

「緊急事態宣言」

 2020年4月某日、目の前の小さな滑り台は、黄色いテープでぐるぐる巻きにされていた。いつもと同じように幼い娘と近所の公園まで歩き、いつもとは違う見慣れない公園の景色に遭遇し、「今日からは、公園でも遊べないのだ。」と理解した。手を繋いだ先にある娘の顔は、ただただ無表情だった。

 そろそろだ、そろそろ出るぞ、と噂されていた「緊急事態宣言」が、4月7日に発表された。それから数日して息子の小学校は休校となり、次いで娘の保育園も休園となった。それからさらに数日後には、公園の遊具も使用出来なくなってしまった。新しい感染症に対応するため、日々の生活は大きく一変した。

 今年の1月頃から耳にするようになった新しい感染症は、2月、3月、4月と、ゆっくり、外の空気を重くしていった。子供を連れて歩くとき、それは、より強く感じられた。ちょっとした子供の仕草も気になるようになった。お店の壁や棚にさわったり、寄りかかったり、子供の仕草一つ一つが、周りの人を不快にさせていないか、不安にさせていないか、「正しさ」がどの辺りにあるのか、自信が持てない。外を歩くたびに、当たり前のように繰り返してきた習慣の一つ一つが、「正しさ」から外れているように感じられた。小学生の息子は、誘っても外に出なくなってしまった。

ステイホーム

 家で過ごすなら、感染リスクも低い。マスクもいらない。食事も、いつも通りの気楽なマナーで食べられる。子供が壁や机をベタベタ触っても諦めがつく。いつもの慣れ親しんだ習慣が、家の中ではいつもと同じように機能する。そのせいか、家族全員で家に引きこもる時間が増えていった。日々の食材の買い出し以外は、ほぼ家で過ごすようになった。4月からは、夫婦そろって在宅勤務に切り替わり、自炊率100%の自粛生活が始まった。

 わたしは、家に「いる」のが大好きだ。ゴロゴロしながら本を読み、アニメをみて、眠くなったら布団に入る。自粛期間中は、子供の送迎もない、通勤もない。朝もゆっくり起きられる。珈琲を豆から挽いてもいい。珈琲の香りを楽しみながら、子供の様子を目で追いながら、楽な普段着で、ゆっくり自分の仕事を開始する。家から出ないことは良いことばかりだ。しかもそれで褒められるなんて、素晴らしいじゃないか。バンザイ・ステイホーム。

 そう思ってはいたものの、家族全員が、ずっと家に「いる」となると、わたしの「いる」が上手く出来ない。子供たちが、ずっと家で過ごす、その「いる」を支えるために、雑多で瑣末な「する」がポコポコ増えていく。仕事をしながら、昼食を作りながら、片付けをしながら、会話をしながら、小さな小さな「する」が、ポコポコ、ポコポコ湧いて出る。取っても取っても落ちている髪の毛。替えても替えてもビショビショになるタオル。床には小さなレゴのパーツが広がり、お気に入りの動画が見つからない、とお呼び出しがかかる。珈琲の香りなんて、思い出すこともできやしない。
 小さな気泡のような「する」を、一つ一つ潰していく。「いなければならない」は、わたしの好きな「いる」ではない。わたしの好きな「いる」は、「いてもいなくてもいい」という自由で作られている。

 自分のために費やす時間が、どんどん削られていく。そんな焦りの中で、隙間時間を見つけては、本やアニメを、やたらめったらと詰め込んだ。深く味わうより、たくさん消費することに専念した。まったく自覚はなかったけれど、それなりに不安だったのだと思う。不安な気持ちは、何かを「する」ことと、相性が良い。仕事をして、家事をして、育児をして、それでも空いてしまう時間に趣味を詰め込んで、とにかく無駄なく徹底的に時間を消費した。小さな気泡のような「する」のそばで、さらに大量の「する」を、ぶくぶくと泡立てていたのは、わたしだ。

 外の張り詰めた空気が、我が家にも、ゆっくり、重くのしかかる。何もしないで「いる」ことは難しかった。隙間を埋めるように何かを「する」生活は、わたしを少しだけ安定させ、そして確実に、わたしを疲弊させた。

新しい習慣

 そんな生活が1ヶ月半続き、感染も落ち着いてきた5月25日、緊急事態宣言が東京でも解除された。小学校は、分散登校から始まり、少しずつ通常の時間割に戻っていった。保育園も少しずつ受け入れが再開された。
 以前から行われていた手洗い・うがいに加え、マスク、検温、消毒といった新しい習慣が追加された。子供達はカラフルな布マスクを嬉しそうに着用し、「お熱を測るよ」と声をかけられれば、さっと前髪をかき上げ、「消毒しましょう」といわれれば、両手を差し出し、吹きつけられた消毒液を手に擦り込んでいく。いつの間にか、公園も開放され、お気に入りの滑り台でも遊べるようになっていた。

 新しい習慣に馴染んでいくにつれ、少しずつ気持ちも落ち着いていく。マスクを着けて出歩くことが、子供たちにとっての当たり前になった。新しい習慣が身についた頃、外食も再開した。映画館へも連れていった。電車で少し遠出もした。遠方にある実家への帰省こそ控えているものの、少しずつ、少しずつ、繰り返し、反復することで、安心感が生まれ、出来ることも増えていった。出来ることが増えるたび、家を圧迫していた、重く張り詰めた空気がゆるんでいく。

 外での空気がゆるんでくると、家での空気も同じようにゆるんでいく。家族の「いる」を支える小さな気泡はなくならないが、ぶくぶくと泡立てるほど、何かを追い求めることはなくなった。わたしの「いる」は、「いてもいなくてもいい」自由で作りたい。ぶくぶくと勢いよく泡立てるようなものではなくて、飛んでもいい、弾けて消えてもいい、ふわふわと次にくる風を待っている、シャボン玉のような「いる」がいい。安定していて、退屈で、気晴らしを求めて、そんな時間も含めて楽しむような、そんな「いる」が大好きだ。

 今は、すでに12月。緊急事態宣言の解除から半年以上が経過した。感染者もまた増えてきた。新しい習慣にも慣れきって、少し気持ちが緩んでいるのかもしれない。職場でもポツポツと感染者が出始めた。いまだに、どの程度が「正しい」感染症対策なのか分からない。だから、実家への帰省も目処が立たないままである。わたしの在宅勤務も継続中だ。娘と手を繋いで歩く、毎日の保育園への行き帰りが、仕事とプライベートを切り替える大切なセレモニーとなっている。

 今年も、あと数日。2020年、初めてのことがいろいろあった。年末年始に家族だけで過ごすのも、初めての試みだ。実家の母からは、Zoomにチャレンジしてみたい、と連絡があった。

 そういえば、珈琲豆はまだ買っていない。年末に向けて少し買っておこうか、どうしようか。娘と手を繋いで歩く、日の暮れた帰り道、わたしは珈琲の香りを思い出す。


*このnoteは、リレーマガジン「Feature FUTURE」に参加しています。