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ななしとちひろの交換日記はじめます。


影響うけやすいし、いい意味でもわるい意味でもかんたんに染まってしまうので
いっしょにいる人は慎重にえらびたい。(それでこの様とはおもしろいけどね)
すてきな人と一緒に時間を過ごすことは、わたしの人生においてとっても大切なこと。

10月になりました。

あれから1年。奇跡を起こし続けることはできるかな。
母はもうすぐ58歳を迎える。

全力で9月は走った。自分の内側に耳をすまして、目の前のことに集中した。
10月は、すこし落ち着いてベースを整える月にしよう。
ひとつめの石を積んでみよう。
まずは、お茶会から形にしてはじめよう。

そんな風に、きたる10月に向けて想いを馳せていたらひょんなご縁がまた繋がりました。お茶会の次は何が起こるのでしょう…♡

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さっそく暴走している様子のななし氏

はい。「お尻プロジェクト」のななしちゃんと友好条約をむすびました🤝💓
まだ、なにするのか決めてないけれどわくわくとときめきがとまらない…

最近うれしいことにいろんな人からnoteを読んでくれた方から熊本支援のことで「なにするの?話きくよ?」「お手伝いするよ」と声をかけてもらうので、今わたしが考えていることをあゆみちゃんからもらった質問に答えていく形で、リアルタイムでnoteにのこしてみます。

そう♡なつかしの「ななしとちひろの交換日記」的なやつ✨

善は急げ。

はしり書きで読みづらいかもしれませんが…
なう!な気持ちを詰め込んで本日より見切り発車してみますので、ぜひ読んでやってください!

応援してくれると嬉しい…よろしくお願いします!

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1なぜ支援活動をしようとおもったのか

きっかけは、一番の仲良しの被災。何をおいてもすぐに行かなくちゃと思った。

あとは、以前から震災が起こったり水害が起こったりするたびに、胸が締めつけられる想いで、でも何をすればいいかもわからないし、子どもが小さいとすぐには動けない。
毎回、すごく苦しい気持ちでニュースをみながら(むしろまともに見れなくて色々オフにしてしまいがち)無力感と不安、受け止められないことに罪悪感をもっていた。
毎年必ず大きな災害が起きていて、今後はじぶんも例外ではないし、シングルマザーを選択したときにどんな時でもわたしが「大丈夫だよ」と言ってあげられる大人でいようと決めているので災害に対しては特に、年々無視できないくらい敏感になっています。。
西野さんのサロンに入った理由も、これからの時代は「新しい文化」とか「新しいかたちの繋がり」が必要だと思っていたので、例えば「結の文化」だったり、「ギフト経済」だったり「<友達>とか<家族>みたいな名前のつかないような、ゆるい繋がり」だったりというものにすごく興味をもっている。(まじめか)

西野さんも公助はもう機能しないと言っていたけれど、国に対してぐちをいうより、自分のできることで自分の周りの環境をすこしずつよくしていくやり方のほうが昔からすきです。

今回実際に熊本に行ったのは、とにかく現実をこの目で確かめたかったから。
コロナもあって、誰がどんなことを思っているのか、何が必要なのかがよくみえない状態。

「〜〜らしいよ」それだけじゃ判断できない。逆の立場だったらどう感じるかな。
こんなに繋がりやすい時代にコミュニケーションがボトルネックっていやだな…と思った。

なにより今回は、なぜか「行くべきだ」と強い直感があった。ちょっとむりしても今行かないといけない。
(なので朝4時から、お決まりのウタスキーモードで熊本入りした。眠すぎてコンビニでコーヒー買ったら、中身入れずにカップだけ持って帰ってきたり、タオルを忘れて買いにいったらなぜかレジに財布を差し出し、タオルを小脇に抱えて店員さんを困らせたり、まちがって違う車のドアを当然のように開けて、老夫婦にすごいいやな顔された!←当たり前 のでちょっとむりしすぎた感は否めない…非常に反省はしているけれど後悔はしていないよ…!←)

実際に行ったら、思っていたボランティアのイメージがかなり変わって、ほんとうに行ってよかったと思った!

行く前と大きく変化したことがふたつ。

ひとつは
「ボランティアは誰かのためでなくじぶんに必要な行為だったんだ」と思うようになったこと。
よく「元気がほしい時は誰かを元気づけることがいちばんだ」というけれど、
今、目の前にいる人を助けたり、目の前で起こる問題をただひたすら自分たちで解決していく場所のせいか、とても場の空気がいい。なにより楽しい。おそらくだけど、ここのところ先の見えない不安定な時期が続いているから、こういう目の前でダイレクトに「ありがとう」を言ってもらうことが必要な人はたくさんいるんだろうな、と思う。
なぜだか、右も左もわからない海外旅行に行った時の感覚と似ているなーともふと感じました。

重機でガーッと片付けて新しく作り直したらはいおしまい!
みたいなことを少なからず考えていた自分が恥ずかしい。

そう、支援活動に一番必要なものもやっぱり人と人とのやりとりなんだね…。
だから楽しいことが大事。こんな時こそエンタメ。ユーモア。
終わりの見えない、気の遠くなるような現状を諦めないためには「今目の前のやるべきことに集中すること」「たのしんでやること」「ゆるくたくさん巻き込んでいくこと」なんだと思ったよ。

ふたつ目は、綺麗事でもなんでもなく「ちいさな一人一人の一歩の支援をできるだけたくさん集めることが大事」だということ。そのためには、自分とその半径数メートルの近くにいる人にバトンを手渡すような感覚の繋がり方が必要。それをじわじわ拡げていくこと。
正直わたしひとりが行ったことで進んだ復興作業は、泣く泣く諦めた大切な4連休中2泊3日も費やしたにも関わらず、せいぜい小さな何畳かの小部屋ひと区画の壁の柱という柱からカビと砂埃を落とす作業くらい。
衝撃だった。
それでもそれが大切で、それがないと復興は進まない。
そして何よりわたしがその住民さんのお家にお手伝いに足を運んだ、というその事実が住民さんにとって「まだ忘れられてないんだ…」という精神的な意味を持つんだということも体験しました。
さらに思ったのは、この状況、絶対見る人が見ればもっといろんなやり方が見えるんだろうなあということ。
「あの人が見たら、どんな風に仕組み化するのかしら」「あの子が見たら、もっと効率よく磨きあげる道具を知っているのかもしれない」とか。十人十色。いろんな視点が入ると爆発的に良くなるのかもしれない。それは日々家族に寄り添う母性と、日々のやりくりで培われた時短テクニックをもつ主婦とかおかあさんという才能だって同じく…!と本当に思ったよ。

だから、わたしとおなじく「この数千円の支援がなんになるんだろう」とか「わたしがちょっと足を運んだところでなにもできない」と思っている人にこそ伝えたい。
その一歩が絶対に必要なのだということ。じぶんにとってのそのたったの数千円で喜んでくれるひとがいること。

だから、まずはわたし自身からできることを無理のない範囲ではじめようと思ったよ。
ちいさくちいさく、でも必要とされている限りは絶対たやさないぞという決意をしました。

2継続的に支援を続けるの?
もちろん!

3これからやりたいこと
長く続く、顔の見える支援活動
(現地住民さんだけでなく、現場で働き続けるスタッフさんに対しての支援活動も)
「チャリティ!」「寄付金!」という入り口ではなく、「楽しい!」「やってみたい!参加したい!」を入り口にした支援活動。今頭にあるのは、チャリティマルシェやオフ会、オンラインでのチャリティマルシェやお茶会…現地の住民さんやボランティアさんとの交流。でも、もっといろんな人と話してたらもっとすてきなことができるはず!と思ってる。

4今している活動
現地でのボランティア活動
チャリティのお茶会を準備中です。
(そもそも、わたしの母が募金活動を長年続けていたり母と季節のお茶会をしていたのでそこも掛け合わせて)

5プロジェクト名
まだ考えてないでーす。でも、イメージはバトンやたすきを次の人に繋ぐイメージです。

ななしちゃん興味をもってくれて、そして声をかけてくれてありがとう…♡

コラボできるのうれしいよー!

そして長々と最後まで読んでくださったあなたに本当に感謝です。

次はななしちゃんの番♡→

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