ゲーム好きとeスポーツ好きが分断される日
※2024年5月追記
子どもの頃からゲームが好きだった私にとって、eスポーツ業界は憧れの業界だった。そんなeスポーツ業界で働き始めて数か月(2019年当時)が経った。そんな頃に書いた記事である。
私にとってeスポーツは「ゲーム好きの為に用意された次なるステージ」のように思えていた。脱サラして念願のeスポーツ関係の仕事に就くことができたので、浮足立っていたのもあり、大きな希望を抱いていた。
しかし、やがてはその希望は打ち砕かれていく。
最初に違和感を感じたのは、とあるYouTubeチャンネルで「eスポーツとは何か」の特集番組をみたときだ。
最初の違和感「ゲームとeスポーツの違い」
番組の司会進行のアナウンサー(自称ゲーム好き)は、当番組のゲストである有識者のゲームメディア編集者に向けて「ゲームとeスポーツの違いは何か?」と問いかけた。そして、ゲームメディア編集者はこう答えた。
「ゲームには様々な遊び方があります、その中でも技を競ったり観戦したりするのがeスポーツです。(※意訳)」
当時、私はこのやり取りに2つの違和感を抱いた。
1点目の違和感は「ゲームとeスポーツの違いは何か?」という問いそのものである。個人的にはゲームとeスポーツに違いはないと思っていたからだ。
2点目の違和感はこの質問に対する返答である。ゲームメディア編集者は「違いはありません。便宜上『ゲームを競技的に楽しむ』という文脈で使用されます。」と答えるべきだと感じた。その上で「何故、eスポーツという言葉が生まれたのか」について出所や背景を深堀すれば良かったように思える。
もちろん番組として成立させるために必要な、予定調和的なコミュニケーションであったのかもしれないが、少なくとも当時の私には「この問い自体がeスポーツの本質を捉えていない」「ゲームとeスポーツの関係性を複雑にさせるだけ」であるように思えた。
本当にゲームが好きな業界関係者であれば、ゲームとeスポーツが別モノであると誤解させるような表現は避けるべきであり、それがいち個人の見解では無く、eスポーツ業界全体の共通認識なのだとしたら、ゲーム好きの自分としては、疎外感がある。世間にeスポーツという言葉が浸透していないという事情を考慮したとしても、自称ゲーム好きの二人が集まって話す内容としては、あまりにも俗っぽいと感じた。
なんか思っていたのと違う
しかし結論として、そのゲームメディア編集者の見解は正しかった。しばらく働いてみて分かってきたが、eスポーツ業界は自分のようなゲームオタクにとって居心地の良い場所ではなかった。この業界は、広告代理店業者を中心とした「学生時代にバスケやサッカーに打ち込んできました。ゲームなんて知りません」的な体育会系の陽キャたちの巣窟と化していた。
そして、既に彼らは「ゲーム好きの市場」とは別に「eスポーツ好きに向けた市場」をゼロから作り始めていた。ゲーム好きとeスポーツ好きは(ビジネスの観点では)分断されていたのだ。
既にゲーム好きとeスポーツ好きの分断が起きているとするならば、日本eスポーツ連合(JeSU)のプロライセンスを発行する方針に対するアレルギー反応、および古参ゲームファンの置いてきぼり感にも合点がいく。
これから訪れるeスポーツの世界は、従来のゲーム好きたちの為に用意されたものでもなければ、これまでになかった新しい市場でもない。古典的なビジネスモデルと既得権益による、従来型のスポーツ興行&芸能興行の焼き回しの世界だ。
具体的に何が起こるかというと、ゲームをやったこともなく、ゲーム好きでもない客層が「eスポーツ好き」として登場し始める。出演者側にも同様の現象が起こる。最近(2019年時点)も旬を過ぎた芸人さんやアイドルが「ゲーム好きタレント」として売り出され、彼ら彼女らは保守的なゲーム好きから批判を受けがちだが、これが今後のeスポーツ番組&イベントのスタンダードになるだろう。
また興行イベントとして成立させるために関係者全員(プロゲーマーや参加者も含めて)がスポンサーの顔色をうかがうことになるだろう。マス層の獲得のために強力なコンプライアンスが設けられ、深夜番組がゴールデンタイムに進出したときのように牙を抜かれる。
だがそれの何が問題なのか
では「それの何が問題なのか」という問いであるが、特に何も問題はなく、単純に「私が悲しかっただけ」というのが結論になる。
身も蓋もない記事になってしまい申し訳ない。
これは超個人的な主張を綴っただけの記事なのだ。
そのうえで個人的な話をすると、幼少期の私にとってゲームは「孤独な人間が『孤独のまま生きること』を許してくれる存在」の象徴だった。学校で他者と共通の話題がなかったとしても、家に帰れば、遊び相手をしてくれるゲームがあった。
勿論ゲームを通して、人と繋がるということもあったが、それはオプションでしかなく、人と繋がることを主題にするのであればゲームである必要がないと感じていた。人と繋がるのであれば、それはスポーツでも買い物でも良かった。
eスポーツイベントの現場で、広告代理店の人から「いまやゲームはコミュニケーションツールなんです。」という言葉を聞いたときは眩暈がして、その場で倒れそうになった。
私にとって「繋がらなくてもよい」の象徴であったゲームは、いつの間にやら「繋がりをアシストする」ツールとして再解釈され、それがeスポーツとして具現化されつつあった。
私が勝手に期待してたゲームの未来(姿)はここには無かった。
負けを認めたうえでどう考えるか
繰り返しになるが、これは問題提起ではなく、ゲーム好きとeスポーツ好きの分断が起きているという、実態を明らかにしただけである。先ほど、ゲームを1度もやったことがない人がeスポーツファンになることを挙げたが、これについても何か問題があるわけではない。野球を1度もやったことない野球ファンがいるように、大衆向けのコンテンツになる上では当然のことである。
単純に私が世間知らずだったということ。
「負けた」ということに過ぎない。
負けを認めたうえで、改めて自分の主張を整理すると、私はいまの状況を楽しいと思っている。いまeスポーツ業界での仕事が楽しいと感じているのは「ゲームが好きだから」ではなく、業界全体が不安定だからである。発展途上の業界特有のこの「いつ崩壊するかわからない」という緊張感がとても楽しい。
またこの業界には様々な考えの人がいて、一枚岩ではないことが分かった。(私もそうであったように)eスポーツという単語に対しての解釈も人によって異なっている。
この業界にはいろんなひとがいる。
それぞれが自分なりの信念をもって奔走している。
ただ1つ共通しているのは、誰もが「eスポーツをただのブームで終わらせたくない」と考えていることである。そういった野心的な人たちと仕事で関われるのが心底楽しい。
最後に負け犬の遠吠えを
私はこの数ヶ月、仕事で多くのeスポーツイベントに参加してきた。
そこにあったのは、熱狂的で陽気な空間だった。とても素敵な空間だったように思う。
ただ、同時に私は幼少期の頃の「ゲームに熱中していた頃の自分」のことを思い返した。
そもそも、僕はこういう空間が苦手だからゲームを始めたのでは無いのか?
ゲーム好きとeスポーツ好きの分断は既に起きている。
それを自覚している者はまだ少ない、自覚したうえでそれをわざわざ声に出す者はもっと少ない。また「ゲームの仕事」と「eスポーツの仕事」には求められる適正も異なる。私と同様に、ゲームが好きでこの業界に入ってきた人は、何かしらの違和感と苦悩に苛まれるだろう。
もし他にもそんな人がいるのであれば、1人でも多くの人に、この記事が届き「同じように感じてる奴がいたんだな」と共感してもらえると嬉しい。