20230804

「文庫小説が読みたいなあ」と思い立って、本屋に行ったものの何も買えなかった。
まあ、正確に言うと1冊だけ漫画を買ったのだが、それは数十分も店内をうろうろした挙句に何も買わずに帰るのもいかがなものか、というよく分からない自尊心からだ。
本当に思いつきで、尚且つ本屋の閉店時間も迫っていたので家を飛び出して向かう。
そのため、めちゃめちゃ適当に着替えたし全くメイクもしてない状態だったので、帰り道どこかに寄ることも考えずに真っ直ぐ家に帰ったのだけど、その帰り道に「なんて自分は情けねえんだ」と思って少し悲しくなった。

中学生の頃までは比較的本が好きな方だったと思う。
そうは言っても、全く読まない子に比べたらある程度は、といった具合で”本の虫”とは決して言えないくらい。
好きな作家の作品ばかり読んだり、漫画やラノベの登場人物が読んでいたものを読んだり。
高校生時代も読む読まないはさておき、通学鞄には必ず1冊は文庫本を入れていた気がする。
だいぶ偏った作品選びをしてはいたけれど、確実に今よりももっともっと”本”には触れていた。
あの時の読書に対する原動力って何だったのだろう。
単純に時間が余っていたとも取れるだろうし、文庫小説を読んでいる自分カッケェ…とか思っていたかもしれない。
(いらない補足をすると、ハードカバーは昔から苦手。気を抜いたら手から滑って背表紙が机にぶつかってパコーンとなるのが恥ずかしいから。)
けれど、ぺらっぺらのページを指でずらしながら捲る瞬間も、きれいな文章表現を目にした時のゾワゾワした感覚も確かに好きだった。
…ここで”好きだった”という言葉が出てきたから、結局は飽きたんだろうな。

本を買うことに何かしらの特別感を持っているのは今でも変わらない。
言ってしまえば、私の”読書”の好きな部分の大半はそれだと思っている。
だから電子書籍に抵抗があるし、図書館で借りることもあまり好きではない。
絶対、読了後に「この本を手離したくない、見える場所にいて欲しい」と思ってしまうから。
読んだものを本棚に並べておきたいというコレクション癖だ。
昔から部屋はめちゃくちゃに散らかすけれど、本棚だけは整頓していた。
新しい本を買って読み終えたら、どの棚にジャンル分けされるか見極めて、場合によっては総とっかえしたりする。
出版社やサイズを比べて、たまにはお気に入り順にしちゃったりして。
ずらりと並ぶ背表紙ににんまりするまでが私の"本を読む"になる。
入りきらなくなったら棚を買い足す。
これね、コレクション癖は捨てたり売ったりできないんだよね。
あまり好きじゃなかった本も途中までしか買えなかった漫画も、それらすら収まりのいいところを見つけて並べられている本棚が好きだ。

というのも、私にとっての読書というのは言い換えるならば”挑戦”になる。
「買ってみるぞ!」「読んでみるぞ!」「読破してやるぞ!」など自身の行動への挑戦。
「主人公と一緒に事件の解決に挑むぞ!」みたいな物語への没入に対する挑戦。
そして、それを経た本たちが堂々と棚に並ぶ様を見ることで”読書”そのもののミッションクリアになると思っている。
終わりよければ全てよし。
途中で読むのを諦めても本棚に入れてしまえば、それは私の成功体験だ。
つまるところ、読書の原動力ってのは自負心を補う行動の一種なんだろうな。
私はこんなにも成功したんだぞ、ふふん!というの目に見えてわかるようにしておきたいし、目に入るところに置いておきたい。
私の成し遂げてきたものをトロフィーのように並べられている、本棚が、”読書”が好きだ。

閑話休題。

本屋に行くときって、なんとなく打ちのめされてる時が多い気がする。個人的にだけど。
そこで”何も買えなかった”ということが、己の無力さを浮き彫りにしてしまったのだと思う。
情けなくて、子供の頃にできたことができなくなって、あまりにも浅はかだ。
ここで「くぅ~!いずれ私はまたお前に立ちはだかるだろう!首洗って待っていろよ!」と、四天王の中でも最弱…ポジみたいな返しでもしておけば良かった。
肩を落として少し恥ずかしそうにトボトボと歩く私は、如何にもなモブだったに違いない。

帰ってきて、私はすぐに本屋再戦の熱意を掲げることとなる。
本好きの推しがいたことを思い出した。
noteにオススメの本とか書いていたっけなあ、と彼女の投稿一覧に飛ぶ。まあほとんど書いてなかったんだけど。
それでも彼女の文章の中に本屋に対する畏怖を綴ったものがあった。
思わずスマホの画面を伏せて、一息をつく。
彼女もこうして立ち向かいながら本を選んでいるのか、とお門違いかもしれないけど安心した。
どんな風に本を読んでいて、読書しながら見る景色、空気の移り変わり。
そういったものを綴っているのを、憧憬と少しの羨望をバランス良く抱きながら読んでいると外が明るくなっていた。

数日が経って、まだ本屋へのリベンジはできていないのだけど、あの悲しみからの復活を遂げたので言語化してみた次第です。
それくらい本屋の帰り道が衝撃的だったんだよなあ…。
なんか読めたらいいなと思います。
家長むぎちゃんをよろしくお願いいたします。(ダイマ)