驚きのハードルは低くありたい
好人(すきんちゅ)に「ふ~ん、面白い(文章を書く)おんな」って言ってもらった。
ので、すべての言葉を都合よく飲み込む党 立党者としてキーボードを打ち始めました。
世界にぶん投げたい思いも、来世のわたしに語り継ぎたいライフハックも、結構ある。
一方で、思い入れが強ければ強いほど、筆圧が高くなって読みづらさにつながるとも思っている。
一昔前のブログ(世代バレ)のような感覚で気負わずにやってみるぞ。
先日、兄の家を訪ねた。
藁納豆を食べ、アロエのお刺身を食べ、キュウリを丸かじりし、笹団子を食べた。
わたしにとってはどれも日常から離れた経験。
藁納豆についてあーでもないこーでもないとディスカッションする兄夫妻の横で、藁が手に刺さらないかと冷や冷やした。
躊躇せずアロエをさばいていくパートナーさんに感嘆の声をあげ、お刺身を口に運ぶのにかなりの勇気をふりしぼった。
サツキちゃんとメイちゃんとおばあちゃんを脳裏にちらつかせつつ冷えたキュウリを頬張った。
笹からの攻撃をかわし損ねて顔を負傷しながら、ほっぺたが何個あっても足りないくらいほっぺたが落っこちた。
「文明のない地域から来た人みたいだねえ」
「固形物を食べずにサプリのみを摂取する未来から来たんだねえ」
「長いこと地下労働に就いていたから新鮮で温かいご飯は久しぶりなんでしょ」
好き勝手言う兄。
「おいしい!」「なんなんだこれは」「初めてかも」「夢みたい!」
とめどなく感動があふれ、安っぽい食レポ(求められていない)を続けるわたし。
ご飯を食べに訪ねたわけじゃないのに、あの日の記憶は食べ物に関わることばっかり!そしてしあわせな感情ばっかり!!
わたしが「快楽」ととらえるもののひとつに「驚き」があると思う。
異文化への驚き。偶然への驚き。
知っていたものが別の形へと変容していく驚き。
これぜーんぶ大好き。毎日食べたい。
驚きを常に得ようとするのは難しいんだろうな。
そして「当たり前」であればあるほど「驚き」には結びつかない。
じゃあどうしたらこの好物を、人生の中でできるだけ多く食べることができるのか?
これがたぶんタイトル。 “「驚き」のハードルの低さ” が必要なんだと思う。
で、驚いたときにそれをちゃ~んと表に出して、「自分、いま驚いてるぞー!」と自己認識させてあげるのが良いんだと思う。
「当たり前」がそうではないとき、またはそうではなくなってしまったとき。わたしは落胆する側の人間である。ので、いらん落胆を避けるためにも。勝手に期待して裏切られたときの虚無感って辛いよねえ。
ギャンブルでも手軽な「驚き(=刺激)」を得られるけれど、わたしが「快楽」としてしっかり認識するには物足りない気がする。熟考した結果当てたものだとしても自分とのつながりは希薄というか。糧にならない感というか・・・。
ということで、す~ぐ天狗になる党 兼任者として「ちっちゃいことにも驚ける自分であれよー!」とわたし自身に投げておきたい。
驚きが続くとちょっと疲れるけど、それって驚きが悪いんじゃなくて、驚くことを楽しめない自分が疲弊しすぎているんだと思うゎょ。休め休め―!
わたしより
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