いつのまにか知っている(日記34)
今日は午前中いっぱい、ずーっと眠っていた。
昨日の晩、めずらしく、0時まで起きていたからだ。
同居人氏1も同居人氏2も寝静まって、とっぷりと暮れた夜に、ひとり起きているというのは、わたしにしては大変にめずらしいこと。
いつもは、誰よりも早く先に眠るのに、昨日の晩はなんだか起きていたくて、宵闇のなかをずっと、スマホに相手をしてもらっていた。
どこのだれともしらないひとの、コラージュだったり、ごはんの風景だったり、片付けの風景だったりを、延々とスクロールしていた。
音はものすごくちいさくして、そうした人々の、生活の音を聞いていた。
そういうの、ASMRって言うんだって。
紙がこすれたり、まな板をとんとんしたり、お水をジャージャーしたり、そういう音が、とても好きだ。
そうやって夜更かししたせいで、今日はとっても眠くて眠くて、朝起きたのに、もう一度眠って、目が覚めたときには、もうお昼の12時だった。
いつも6時半とか7時には目が覚めるから、なんだかタイムスリップしたみたいだった。
同居人氏1がお昼ごはんにラーメンを作ってくれて、それを食べたら、午後もまた、なんだかうとうとしていた。
うとうとしているうちに4時近くになって、そこでとうとう起き上がって、夕ごはんの支度に取り掛かった。
同居人氏1のご実家からいただいた、たくさんの野菜たちを、順番に使ってゆく。
今日は、いただいたレンコンを、きんぴらにした。
レンコンを取り出して、皮を剥いて切って、酢水にさらしているときにふと、どうしてわたしは、レンコンを酢水にさらすことを知っているんだろうと、不思議に思った。
昨日はオクラを茹でたのだけれど、そのときも、オクラの産毛を取るために板ずりしていて、そういうこと、なんでだかわからないけれど、いつのまにか知っている。
お母さんに教えてもらった覚えもないし、調理実習で習ったのかなと思ったりもしたけれど、はっきりとした記憶がない。
記憶がないのに、わたしはたしかに知っていて、自然とそう言う動作をしているのは、人生のおもしろさに、人生の不思議さに、ちょっと触れたようだった。
酢水にしっかりさらしたレンコンは、おいしいきんぴらになった。
お皿に盛り付けて置いておいたら、同居人氏1がパクパク食べてしまって、夕ごはんの前になくなっちゃいそうだったから、こら、と言った。
もうすこしで同居人氏2が帰ってくる。
3人揃ったら、今日も我が家の夕ごはんがはじまる。
2人がおいしく食べてくれるといいな。
そして今日は、早く眠ろう。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい