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おばあちゃんちは宝箱

12/28、12/29と、愛知にあるおばあちゃんちに行ってきた。


行く前は、なんだか辛くなってしまって、行けないかもしれない、と、新幹線に乗る直前まで思っていたけれど、新幹線に乗ってしまえばなんのその、ちゃんとわたしは愛知の地に降り立った。



なんだ、やればできるじゃん。


愛知に着いて、まず、たどり着けた自分にほっとした。


おばあちゃんは今、入院している。
12月のあたまのほうに、連絡がつかないのを心配して、お父さんがおばあちゃんちに行った。
そうしたら、おばあちゃんは、おうちの中で毛布にくるまって、動けなくなっていた。
立てない、足腰が動かない、と言って、そのまま病院に運ばれた。
そしてそのまま入院した。


だから、おばあちゃんのおうちは、おばあちゃんが病院に運ばれたっきり、そのままになっていた。
元々荷物の多いおうちではあったのだけれど、実際に中に入ってみると、それはそれは、もう、あちらもこちらもめちゃくちゃで、台所もお手洗いもお風呂もお部屋もなにもかもめちゃくちゃで、窓は割れていてガムテープと段ボールで塞がれていて、他人がみたらこれはもう、誰が見ても、手に負えない、業者の人に任せるしかない状況だった。


おばあちゃんは、このおうちで、ギリギリまで、ひとりで頑張って生活していたんだな、と思うと、胸がぎゅっとした。


そんなおうちを、わたしとお父さんで、片付けに来たというわけだ。



片付け、と言っても、目的はひとつで、「おばあちゃんが大事にしてたものをなるべく最大限まで集めること」。それが、わたしとお父さんの目的だった。
業者の人に最終的に頼むとしても、おばあちゃんが、一生懸命に生きたこの家を、少しでもきれいにしたい。お父さんはそう願っていた。



わたしはおばあちゃんが日頃使っていた6畳のお部屋の中から、おばあちゃんの大事にしてたものを発掘して分類する作業を担った。
お父さんから言われたことはひとつだけ。
「おばあちゃんが直筆で書いているものは、どんな紙切れでも、全部取っておいて。」


わたしは、わかった、と言って、雑誌や新聞や包装紙やその他諸々、おばあちゃんが一生懸命に生活していた果てに積み上がってしまったものを、ひとつひとつ、選別した。


そのあいだにお父さんは、ぐちゃぐちゃになった台所やお風呂を、なるべく元通りに近くなるように、片づけた。


途中、お父さんが言った。


「これじゃあ、おれたち家族が、おばあちゃんを虐待してるって言われても、仕方ないよね。」


お父さんの顔はさみしそうだった。

わたしは、


そんなことないよ、これはみんなの責任で、お父さんが悪いわけじゃないよ、おばあちゃんはギリギリまで頑張って頑張って、生活していたんだよ、


と言った。


ひとつひとつ選別してゆくうちに、おばあちゃんの生活が見えてくるようだった。


チラシの裏に走り書きされた、大量の料理のメモ。健康情報が走り書きされたメモ。行きたいなあと思って取っておいた、レジャーランドのチラシ。健康になる体操が書いてある、ちぎられた雑誌のページ。筆まめだったおばあちゃんに宛てられた、たくさんのハガキ、手紙。お友達の連絡先が書かれたノート。落書き。きれいだなあと思って取っておいた、カレンダーの切れ端。お花の写真。わたしたち孫から大昔に届いた手紙や、写真。



他人から見たらそれは、ただのゴミだと思う。
でもわたしは思った。
ひとつひとつ選別してゆくうちに、おばあちゃんの生活の軌跡が積み上がってゆく。おばあちゃんの宝物が、積み上がってゆく。これは、おばあちゃんが、ここで日々を営んでいた、紛れもない証。おばあちゃんの人生の、宝物の、一部。


だから、目を皿にして、全部全部、やれる範囲のものは選別した。
選別して、ジップロックに種類ごとにわけて、オリコンケースにしっかりと、しまった。



おばあちゃんと面会もできた。
テレビ電話だったから、おばあちゃんはカメラの位置がよくわからないみたいで、目線がなかなか合わなかった。



おばあちゃん、来たよ、わたしは誰でしょう?


と問うと、


おばあちゃんは、


ああ、このかわいい子は誰だっけ、ええとええと…


と、時間をかけて、わたしの名前を思い出してくれた。


そうだよ、○○(わたしの名前)だよ、大正解!おばあちゃん、会いに来たよ、


と、わたしは言った。



おばあちゃんは、自分が今、どんなところが痛くて、どんなことが悲しくて、どんなことが怖いか、訥々と話してくれた。


会話の内容はたぶん、ちょっと支離滅裂で、途中でおばあちゃんのそばに付いていてくれた看護師さんのお話と、所々食い違うところもあった。


けれどわたしには、そんなことはどうでもよかった。



おばあちゃんは、怖い、と言っていた。
歩くことが怖い。立ち上がることが怖い。人間関係が怖い。怖くて怖くて、仕方ない。



わたしは、


そうかあ、傷ついたんだね、怖かったね、


と言った。


言いながら、怖い、と言っているおばあちゃんを見て、ああ、わたしはこの気持ちを知っている、と思った。


簡単に「わかる」なんて言っちゃいけないんだけれど、わたしは、「おばあちゃん、わかるよ」と、思った。



だって怖がっているおばあちゃんの姿は、わたしが調子が悪いときと、そっくりだったから。


何もかもが怖い。もう怖くて考えるのも疲れちゃう。むずかしいことをわたしの前で言わないで。もう何も聞きたくない。怖くて、疲れて、動けない。もう動けないの。



おばあちゃんは、そう言っているようだった。
だからわたしは、おばあちゃんの怖さや、疲れや、痛みが、とても自然なことのように思えた。
どうしてそんなに弱気になっちゃったの、なんて、微塵も思わなかった。


だって、怖いんだよね。
怖くて、疲れちゃったんだよね。
だから動けないんだよね。
わかるよ、おばあちゃん。わかるよ。
いっぱいいっぱい、傷ついたんだよね。
だから、疲れちゃったんだよね。
わかるよ、わかるよ。わかるよ、おばあちゃん。



心の中で、何度もそう呟いた。
面会時間が10分しかなくて、おばあちゃんも途中で疲れてしまって、結局、大したことはおばあちゃんに伝えられなかった。



だから、差し入れの衣服と一緒に、手紙を渡してもらった。



おばあちゃん、病院には、おばあちゃんを傷つける人は誰もいないよ。
だから安心していいんだよ。
安心して、ゆっくりゆっくり、からだを休めてね。
わたしも、お父さんもお母さんも、みんな、おばあちゃんが大事だよ。



手紙には、そう書いた。




おばあちゃんの宝物は、まだまだおうちで静かに見つけられるのを待っている。
時間がかかるのは、もう、お父さんもお母さんもわたしもわかっているから、ゆっくりゆっくり、おばあちゃんのおうちから、おばあちゃんの生きてきた軌跡を、おばあちゃんの生きてきた証を、おばあちゃんの生活の跡を、そうした全ての、おばあちゃんの宝物を、ひとつひとつ、拾い上げてゆこうと思う。




おばあちゃんちは、おばあちゃんの、宝箱だ。
ねえ、おばあちゃん。
わたしちゃんと、わかったよ。
おばあちゃんが、一生懸命にギリギリまで生活してたこと、わかったよ。
だからあとは任せてね。
いまはとにかく、ゆっくりしてね。
なんにも怖いことはないからね。
そこは安心して大丈夫な場所だから。
もう怖くないよ。
大丈夫だよ。
おばあちゃん。みんな、おばあちゃんが、大好きだよ。



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