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2023年のおしまいに(日記51)

今年がもう終わろうとしている。
今日からわたしも就労移行支援がおやすみ。
同居人氏2も、今日から年末年始のおやすみ。
同居人氏1は、はやばやと28日から年末年始のおやすみに入っている。


3人揃って今日からおやすみ。
朝、のんびり起きようと思ったけれど、なんだかんだで3人とも7時には起きていた。


同居人氏1、11月くらいから、こつこつとおうちの大掃除をしてくれていて、わが家のほとんどをきれいにしてくれていた。
なので、今日もお掃除するところはほとんどなく。

わたしはお風呂場の鏡を、同居人氏1は、窓のサッシを掃除した。


同居人氏2も、今月入ってすぐくらいに、自分の大荷物を片付けて、分量的には「中荷物」くらいにしておいてくれたので、今日はのんびり過ごしていた。


夕方、時間ができたので、なんとなく、自分のnoteをいちから読み返してみた。


今年のわたしの記録は、こうでした。


これをもらったときも、そっかあ、って思ったけれど、いちから読み返してみたら、このまとめとは別の、日々の積み重ねがみえてきて、なんだかんだ、書いてきてよかったなあと思った。


去年の今頃は、図書館で働いていて、まわりのひとにも恵まれて、やさしさをたくさん頂いたのにどうしても続けられなくて、今年の4月に仕事を辞めてから、日々、動けなくなったり、泣いたりしながら、今日まで生きてきた。


振り返ってみると、2023年のあたまのほうは、泣いてばかりで、辛そうな自分がいた。


それが、少しずつ、少しずつ、陽の当たる方向へ歩みを進めてきて、気がつくと最近は、泣いてしまうことも、思い詰めてしまうことも、動けなくなってしまうことも、めっきりなくなった。


嵐のなかにいるときは、吹き荒ぶ強風に、冷たい雨に身をさらされて、もう動けない、どうにもできない、出口がみつけられない、と、まぶたを開けることができなかったけれど、いま気がつけば、嵐は止んでいて、目の前には、同居人氏たちがいてくれて、築きあげてきた「生活」というものが確かにあって、わたしを支えてくれている。


noteで出会えた方々とも、たくさんの言葉をいただいたり、記事を読ませていただいたり、それは、自分の中で、やわらかな灯火のように、こころを暖めてくれるものだった。


くるしいこともあったけれど、今年が終わる今日という日に、こんなにおだやかな気持ちでいられるということ。
亀の歩みだけれど、たしかにいま、陽の当たる方向へ、進んでいけているということ。
このことを忘れずに、これからも、生きていきたい。


noteで出会ってくださった皆さま、今年一年、ほんとうにお世話になりました。
みなさんの言葉が、わたしを、この場所まで連れてきてくれました。
これからも、みなさんの言葉を、たのしみに、こころの糧に、していきたいと思っています。
どうぞ、よい年末をお迎えください。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい