こころからの、ありがとう(日記57)
2024年2月10日は、わたしの大切な弟の、結婚式だった。
3連休の1日目、よく晴れた空の下、わたしの弟は、たいせつなひとと、結婚式をした。
弟とは、2歳離れている。
小さいころは、どこに行くのも一緒だった。
わたしはとても「お姉ちゃん」気質のこどもだったから、何をするにも、世話を焼いていた気がする。
一度、喘息で入院したことがあるのだけれど、なんと時期を同じくして、弟も体調を崩して入院して、隣同士のベッドで、2人並んで入院生活を送ったこともある。
そのときのお母さんは、1番下の弟を妊娠中で、大きくなったお腹を抱えて、わたしたちのお見舞いにきてくれていたんだった。
そのときわたしたちはもう小学生で、わたしは確か小学校4年生で、隣で心細そうにしている弟を励ますべく、何くれと世話を焼いて、世話を焼きすぎて、看護師さんにたしなめられるほどだった。
弟は、1番下の弟が生まれたあと、苦しい時期を過ごすことになった。
それまで自分が家族の中でいちばん大切にされていたのに、9歳(わたしとは11歳)離れたふにゃふにゃの赤ちゃんが産まれて、家の中は、赤ちゃん一色になった。
弟はそれが苦しかったようで、家の中で大暴れして、風呂場の扉を壊したり、暴れたり、言葉の少ない弟だったから、とにかく暴れて暴れて、自分の苦しい気持ちを、発散させているようだった。
泣きながら、わたしの背中を叩き続けた日も、あった。
ああ、この子はいま、苦しいんだろうなあと思ったことを、覚えている。
そんな弟も、だんだんと1番下の弟の存在を受け入れられるようになって、わたしたちは晴れて、3人兄弟になった。
男の子というものはみんなそうなのかわからないけれど、大きくなるにつれて、どんどん口数が少なくなって、昔はあんなにしゃべってくれたのに、わたしが実家を出る頃には、「うん」とか、「ああ」とかしか、言ってくれなくなっていたのを、覚えている。
わたしはそれがちょっとさみしかった。
弟のことが、大好きだからだ。
そんな弟が変わったのは、弟の結婚相手である、たいせつなひとと出会ってからだと思う。
表情が、やわらかくなった。
もともとやさしい子だけれども、もっとやさしくなったように見えた。
わたしとも、会話が自然にできるようになった。
お父さんとお母さんとも、もちろん会話できるようになった。
そんな弟が、たいせつなひとと結婚をするということを決めたとき、こんなに嬉しいことはないと、思った。
そうして昨日、実際に結婚式に参列してみて、ほんとうにうれしそうな2人の姿を見て、わたしは、こころからおめでとうと思ったし、それと同時に、こころから、ありがとうとも、思った。
わたしの弟に生まれてきてくれて、ありがとう。
兄弟になってくれて、ありがとう。
お父さんとお母さんに、「結婚式」を経験させてくれて、ありがとう。
ほんとうに、大きくなったんだね。
ほんとうに、おとなになったね。
たくさん苦しかったこともあったろうに、よくがんばったね。
わたしは、あなたのおねえちゃんでいられることが、こんなにも、誇らしい。
こんな気持ちにさせてくれて、ありがとう。
お父さんお母さんへの手紙を読みながら涙を流している弟の姿を見ながら、そんなことを思った。
かみさま、わたしの大好きな弟が、昨日、結婚式をあげました。
どうか、弟と、そして弟のたいせつなひとのこれからの日々が、あたたかく、すこやかなものであるように、見守ってくれたら、うれしいです。
ほんとうに、おめでとう。
わたしはあなたのお姉ちゃんで、よかったよ。
ありがとう。大好きだよ。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい