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さようならをした(日記42)

愛知のおばあちゃんが亡くなった。

愛知のおばあちゃんは、わたしが書いた小説の登場人物のモデル。


このお話のなかにでてくる、「あずまきょうこ」さんは、わたしのおばあちゃんをイメージして書いたのです。



おばあちゃんはきょうこさんと違って、東京に出てきて住むということはなかったけれど、度々東京に来ては、目を輝かせて、うきうきと、それは楽しそうにしてた。


いつもにこにこしていて、乙女心が満載で、どんなときも長い髪とスカートで、おしゃれでフェアリーだった、おばあちゃん。


人工透析もがんばって、最後まで透析をしてた。


でも、89歳、大往生。お葬式に来るみんなが暑くないように、10/1という、涼しい秋になってから、眠るように亡くなった。


亡くなったおばあちゃんを前にして、わたしのお父さんは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、こう言った。


「小学生のときさ、運動会とか授業参観で、お袋が学校に来ると、おれ、すごく自慢だったんだよ。お袋は美人だったから。亡くなったいまも、ほんとうにきれいだと思うよ。」


お父さんは、こうも言った。


「なんだか茶化してないと、大泣きしちゃいそうで、へらへらしちゃうな。」


そう言いながら、ぽろぽろ泣くから、わたしは、


そういうときは、泣いていいんだよ。


と、言った。


お通夜、お葬式では、受付の係を担って、頑張った。


ふだん、おうちでゆっくりと過ごしていて、仕事をしていなくて、社会から離れたところにいるから、受付なんてできるかなと思ったけど、一生懸命、がんばった。


おばあちゃんのおかげで、しばらく揃うことのなかったわたしの家族が、顔を合わせることができた。


わたしには弟が2人いるのだけれど、その2人ともほんとうに久しぶりに会えて、話ができて、とてもとても嬉しかった。


わたしのなかでは、弟たちはまだ小さいイメージのままだったのだけれど、彼らは立派に大人になっていて、ほんとうに嬉しかった。


弟たちはどちらかと言うと無口なタイプで、こちらが話しかけてもあんまり反応がなかったりしたのだけれど、今回は、なんだかたくさん話すことができた。


真ん中の弟は、お葬式中にぽろぽろと泣いていて、ほんとうにやさしい子だな、大人になったな、と思った。


末の弟も、仕事がとっても忙しいのになんとか時間をつくって愛知に駆けつけてくれて、おばあちゃんの最期を見届けてくれた。


ふたりは、やさしい、立派な大人になっていた。
それをおばあちゃんが教えてくれた。


最後のお別れのとき、棺のなかで眠っているおばあちゃんにむかって、わたしは、おばあちゃんの名前を呼んだ。


おばあちゃん、じゃなくて、名前で呼んだ。



◯◯さん、ゆっくり眠ってね。大好きだよ。


と言った。



おばあちゃんと孫、という関係じゃなくて、もし時代が違って出会っていたら、わたしたち、おともだちになれそうな気がしたから。
だから最期、名前で呼んだ。
だから最期、名前を、呼んだ。



いまごろきっと、くたくたの体を脱ぎ捨てて、おばあちゃんは、東京の街をたのしく巡っていると思う。
先に天国で待っていたおじいちゃんや、自分の兄弟たちとも、会えただろうと思う。


フェアリーなおばあちゃんのことだから、きっと、いつもみたいに、うふふと笑って、スカートをひらひらさせながら、東京を楽しんでいると思う。


おばあちゃん、よかったね。
お疲れ様でした。
次に出会えたら、おともだちになりませんか。
きっとわたしたち、気が合うと思います。
おばあちゃんの行きたいところに、たくさん行こう。
おばあちゃんの見たいものを、たくさん見よう。
わたしはそのときを、たのしみにまっています。


おばあちゃん、またね。
ほんとうに、ありがとう。

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