晴れの月曜に考える(日記91)
緊張している。
げぼ吐いちゃいそうなほど、緊張している。
何に?
来週にある、「模擬面接」に、緊張している。
今月、実習に2回行くことが決まった。
先一昨日の金曜日も、1社、会社見学に行かせてもらった。
全部、ちがう会社。
実習は、再来週と、月末に、1回ずつ。
実習のときに面接があるので、そのための練習として、支援員さんが、「模擬面接」の日程を調整してくださった。
わたしが担当することもできるけれど、どうする?いつものわたしじゃなくて、別の支援員のほうがよければ、それもできますよ。
男性のほうが緊張するということであれば、あえて男性支援員に頼むこともできます。
そう言われて、どうしよう、と、思ったけれど、模擬面接はあくまで練習だから、自分が苦手な相手とやったほうがいいと思って、男性の支援員さんにお願いすることにした。
わたしは、すこし、男性が苦手だ。
同居人氏2みたいなひともいるってわかってはいるのだけれども、すこし、話すとき、気を張ってしまう。
ほんとうの採用面接では、結構こまかいところ(自分の障害への理解度とか、体調管理の方法とか)を、つつかれるって言っていたから、模擬面接でもそのあたりをやってもらいましょうね、とのことだった。
模擬面接は、来週の、月曜日。
まだまだ時間はたっぷりあるのに、それにこれはただの「模擬」なのに、昨日から不安でいっぱいで、不安を和らげるお薬を久しぶりに飲んでいる。
何がそんなに「怖い」んだろう?と、考えたとき、思いつくのは、「怒られたくない」という気持ちだ。
同居人氏たちは、完璧にやろうとしすぎてない?自分に期待しすぎてない?そのままでいいんだよ、背伸びしなくていいんだよ。いつもやさしい支援員さんが鬼のように怒るわけないんだから、リラックスして。
と、言ってくれる。
そのとおりだ、と、思う。
そのとおりだなあ、と、いう気持ちと、「でも怖い」「怒られたくない」「今まで頑張ってきたけど、できない子だということがバレてしまう」という、不安な気持ち特有のぐるぐる思考が、わたしを襲っている。
アドバイスは、「怒られた」ってことじゃない。注意や指摘だって、「怒られた」ってことにならないことも、ある。
「怒られた経験」がなさ過ぎて、いま、実態のないものにむかって、むやみやたらに、抵抗しようとしている感じ。
こういうとき、どうするか。
ひとつひとつ、手を動かすのが、いい。
不安な気持ちをなだめるように、面接に向けて、自分の自己紹介シート(そういうものをつくるのです)を、読み込もう。
音読しないとあたまに入らないから、自分の言葉として腹落ちしないから、自分の言葉になるように、何度も読んでみよう。
それから、書いてみよう。口に出して、手で書いて、ことばをからだに、飲み込んでもらって、ことばをからだに、染み込ませよう。
そうして自分の言葉にしよう。
答えを暗記しようとするのではなくて、自分の言葉で、話したい。
面接は、相手が、わたしのことを知りたいと思ってくれる機会だ。
色んな質問をするのは、それだけしっかり話を聞いてくれる、興味がある、ということだ。
教えて欲しいって思ってくださるひとが目の前にいる、それが「面接」なのだとしたら、すこし、怖くない。
わたしは、わたしのことを、ここまでやってきたことを、素直に、正直に、自分の言葉で伝えたい。
そうだ。
すなおに、伝えたいんだ。
今のままだと、すなおに伝えられるほど準備ができていないから、怖いんだな。
書いてみてよかった。
自分の気持ちが、見えてきた気がする。
今日からやろう。
音読しよう。
何回でも、ことばがからだに取り込まれるまで、何回でも。
そんな、月曜日の、はじまりの朝。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい