見出し画像

本当のことは、本人たちにしか分からない。

『本能寺の変 431年目の真実』 明智憲三郎 読みました。

私はただただ、おもしろく読んだのですが、歴史大好きおひげくんが「どういう着地なの?」と聞いてきたところからが、大変でした。
「その話の資料は出てるの?」とか「その裏付けにその話をもってくるのは、おかしくない?」とか。
読み終わってから、1時間ちょっと、ページを戻って探しつつ音読しては怪訝な顔をされる謎時間を過ごしました。

俺が書いたんじゃねぇやぃ!

私「『甲陽軍鑑』は戦術指南書だと思ってた( ˙꒳​˙ )」
ひげ「違うよ、武田家の歴史書だよ( ◜ω◝ )」
っていうところだけ、私の話。

『言経卿記』の読み方を全然覚えられなくて、やたらページを戻った。ごめん、言経さん。

私は小説も歴史の話も、誰かがおもしろいと思って書いた文章だなぁと、同じ土俵に上げてしまう。
ついでに、恐竜と妖怪も同じ。今はいないもの。
だから、おひげくんみたいに燃えられないんだなぁ。

「こういう事件があった」より、「この事件当時、この人はこう考えた」っていう、人の方に興味がある。
だから、この本はおもしろい。
信長、光秀、家康、秀吉がこう考えて、こうしたのでは?が、書いてある。
もちろん、みんな死んでるから違うかもしれないけど。
フロイスは思ってることが文章に正直に出てるけど。

そうそう、おひげくんと付き合い始めて大河ドラマを見るようになって、ぼやっと思っていたことが、『麒麟がくる』のときに \ ドーン! / となりました。

みんな、名も無き者に殺されるんだね!

何言ってんだ?と思うでしょう。そうでしょう。
だって、「悟空はラディッツと魔貫光殺砲で死にました」、「志々雄真実は緋村剣心との戦いで人体発火しました」って成長してきたんですよ。
ついでに、るろ剣の大久保利通は瀬田宗次郎に殺されますよ。

明智光秀、落ち武者狩りですよ。誰だよ。
大河、死ななかったけど。

切ないなぁと思う。

信長の小姓、彌介の話。

もし、本能寺で信長が死んでいなければ、四百年前の日本に黒人の大名が誕生し、その混血の身体能力に優れた一族が戦場で大活躍したかもしれない。想像力をかき立てる魅力的な人物だ。

これは、わくわくですよ。
黒人さんを愛でいたい私としては。
なんで、あんなにかっこいいんだぃ??
と、思っていたらNetflixでオリジナルアニメ『YASUKE』があるよって広告が出てきたけど、ごめん、ファンタジー興味ない。
(『ハリー・ポッター』3巻で脱落した人)

エピローグの憲三郎さんの話がおもしろかった。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とはドイツの鉄血宰相といわれたビスマルクの言葉だ。歴史に学ぶとは、自分とは異なる経験・思考・能力を有する先人の存在を認め、その人物の真実にどれだけ肉薄するかという精神活動であろう。だから新たな発見があるのだ。自分の経験に先人を当てはめて自分の器で解釈することは、歴史に学ぶのではなく、自分の経験を正当化しているに過ぎない。

これは、後者が多いのではないか。
私は完全に後者だった。
「歴史から学べ」とは言われるけど、「どう学べ」とは言われたことないよ。
「君の悩みは先人が既に悩んで答えを出している」くらいだよ。
そう来たら、共通点を探すよ。

一族(家族じゃないぞ、もっと大きい括りだぞ)の未来が安寧であるにはを考えて、そのために命をかけて戦うなんて、共通点0だよ。

信長も光秀も家康も、すごいよなぁぁぁ(*´ー`)💭
(あれ?1人どっか行ったぞ?)

時は今あめが下なる五月かな
国々は猶のどかなるとき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?