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弱くて強い。

『麒麟がくる』を見ていたら、久しぶりに読みたくなったので図書館に行きました。

おひげくん
「キリシタンで自殺できないから、襖越しに家臣に刺させたんだよ」

「向井理じゃん!」

という会話の後、「…前に『ガラシャ』を読んだとき、死んだっけ?」と思ったんです。
生きてました。
何でかは、読んでください。
明智家みんな死なないんじゃないか説。

大前提として、宮木あや子作品は恋愛もの。
『ガラシャ』は、みんなハッピー!って、ぶっ飛んでない方の作風です。
みんな片想いです。

藤孝が正室の麝香に冷たくて妾と遊んでた描写があるけど、史実では正室しかいなかったみたいですよ。
そして、麝香が始めからキリシタンですが、ガラシャの死に影響されて受洗したらしいですよ。
たぶん、この夫婦を変えないと、ガラシャを見てたからって庭師を斬るような人の説明ができなかったのかな、と思いました。
だって、ただのやばい人じゃない。
弟 興元がどえらいイケメンで出てきますが、調べてません。
イケメンはイケメンでいいと思う。

光秀 → 玉子(ガラシャ) → マリア(糸) → 幽斎(藤孝) 視点で進みます。

玉子より珠だったらよかったなぁ。
『パン種とタマゴ姫』だなぁって読みました。
『博士ちゃん』で肝が据わってるって紹介されてましたが、宮木さんのガラシャは弱いと思います。
受洗した後、強くなる。
天主様がついているからでしょうかねぇ。

男が妻以外の女に構わなければ、妻の座にある女があれほど苦しむことはない。男を生かすためならば、女は苦しむのが当然だとでも言うのであろうか。この世が男だけのものならば。すなわち、女が心を持たぬただの人形であれば良いとでも。

タイムリーな文章。
私は男女差別をする人なので(女尊男卑)、おじいちゃんに対しては、「嫌い」としか言えねぇです。
私は女の子が幸せで、笑っている世界が好きです。

必ず連れ戻す、という夫の言葉に縋って生きることはできただろう。しかし、実体を持たぬものに縋るにはこの場所はあまりにも遠く、寒すぎた。低い曇天は容赦なく人の心まで曇らせ、凍えさせる。やがて望みは壊死していくだろう。

すごく分かる、と思ったところ。
遠くも、寒すぎもしないんだけど。
長すぎた。
だから、信じないようにしている。
(何とは言わない)

人を赦すことかできた、と玉子は思う。赦しは慈悲である。己の欲望のためだけに生きる者の心に慈悲は生まれない。ひとつ赦すことで、自身の罪もひとつ赦されるような錯覚に陥る。

己の欲望のためだけに生きる者は、見返りを求めるよね。
もらえないと怒るし。

決して振り返るな。振り返ればそこは黄泉じゃ。
来た道を振り返ればそこには自らの屍があるだけだ。己の生きているのは今、このときなのだから。

玉子が憧れた市の言葉として、何回か出てきます。
強い。
こうなれたらかっこいいなぁと思いながら、後ろを見てしまう。

「求めても与えてもらえぬ者が、求められても与えることはできませぬ」

持っていないものはあげられないのです。
見つけるにも時間がかかるのです。
与えられる人になるように、日々成長です🌱

私はおひげくんと、史実と大河の話をしながら読み進めました。
楽しかったです。

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