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働き方を振り返る

休職中に、特別支援学校に勤務する友達と飯を食った時のこと。

もしかすると、自分は、ワーカーホリック状態だったのかなとふと気付いた。
小学校の教員の時の働き方
朝5時から家でデジタル教材準備をし、出勤。幼稚園の迎えで17時半に帰宅。(後々分掌が重くなり、20時帰宅に変わった。)
いろいろ済ませて、我が子がいる中、我が子が寝ている中、教材準備や仕事をしていた。23時から24時半ぐらいに就寝するという生活だった。
クタクタだったが、嫌ではなかった。
子どもたちが食いついてきたら最高に面白いぞなんて思いながら準備をした。
数式を組んだデジタル座席表を作り、働き方改革にも努めた。

そんな話をしたら、友達から
「すげえな!で、なんか趣味とかせんだ?」
と聞かれた。
これはすごい働き方なのかと初めて気付いた。
だいたい同業者はこんなものかと思っていたが、先輩からも同じことを言われたので、多分、普通ではなかったのだと思う。
趣味は我が子と遊ぶこと、たまにゲームをすることだった。

特別支援学校勤務が始まっても同じことをした。
朝はさすがにできなかったが、家に帰ってから教材準備や特支関係の本を読みまくった。
それを4月の初っ端からしていた。それでも、全くわからないことだらけ、目の前の子どもにもうまく指示が通らない。次第に本が手に取れなくなった。あれだけ本も読んで、教材の準備もしたのにと悔しくなった。終いには、お局さんからは指摘ばかり苦しくなった。

友達から、「そんな力まなくて良いのに。100やっても2%しかできないのが、この世界だからな」と言われた。

なるほどなと思った。
自分は、常に100%でやってきたのだ。
特に4月。
小学校では、学級経営としての要の時期。
当然、同じように反発するような子もいたが、集団としての手応えを感じていた。
2%で良いかなんて思っていると、一瞬で崩れるのである。
それがないのだ。当たり前ではあるが、そのギャップやいろんなことが重なって適応できなくなったのかもしれない。
簡単に言えば不向きだったのかもしれない。
これを言うとマイナスに捉えられがちだが、やりたいこととできることは、ただ単に違う。
(とは言え、小学校教員としての勤務も初めは同じように失敗の繰り返しだった。が、10年もするといろいろとわかるものである)

しかし、ここからは自分の特性の話。
多分、自分は、納得できるまで準備をしなければ、納得できないタイプなのだろうと思う。気持ちが悪いというか。自分のこだわりなのだろうなと思う。そして、何かが成果として返ってくることにやりがいを感じていたのかもしれない。

友人は、俺は30人とか見れんし、生意気なこと言うやつもいるだろうに、すげえなと言っていた。
しかし、俺はこの濃い大人たちと上手に関わり、少人数に粘り強く関わる友人こそすごいと思った。

改めて小学校教員と特別支援学校教員は、全くもって別の仕事だと思った。

最後に、友人から
「多分な。知的の養護学校なら、やりたいことが近いからうまくいくかもしれんけどな。異動してみたらどうだ?」と言われた。

それもありなのかもしれないと思った。
自分のことは、わかっているようでわかっていないのだなと感じる1日だった。

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