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適応障害で休んで一ヶ月の経過

病休に入り、ちょうど今日で一ヶ月経った。
正式には、一ヶ月前の今日まで勤務して、その日に1時間年休をとり、病院に行き、そこで適応障害の診断を受けた。
私の目は死んでいたのだと思う。周りから、先生大丈夫?休んだ方が良いよと声をかけてもらった。肝心の相担も気づきだしたのか、突然「お子さんの行事があれば言ってくださいね。休んで良いですから」とか訳のわからないことを言い出した。もう心は離れていたので、そんな声かけはどうでも良かった。

「薬飲んで頑張ってみる?」
私「…うーん」
「休もうか?」
私「はい」
「うん、やっぱり、こっちの方が答えが早かった。休みましょう。」
休むことに罪悪感はなかった。多分、今休まないと自分の心が壊れる気がした。でも、本当に自分の状況が異常なのかもわからないぐらいに疲れていた。

1週目
3、4日間ぐらいはベッドで横になった。夕方は、妻に連れられ、我が子とドライブに。今更ながら、罪悪感は後から襲ってきた。悪いことしたなというより、自分の無力さがぐるぐるしていた。復帰できない。辞めるしかない。向いていなかったのだと、ずっと自分を責めた。もはや、何が嫌で何が苦しいのかわからなかった。
休んだら、今やっていることについて、来年度見通しがもてない。どうしようと焦燥感にかられた。
LINEで職場の相担に連絡して欲しいと言われた時、スマホを持って5分間固まっていた。
改めて考えると、どう考えても普通ではない様子だったと思う。でも、当時の自分にとって普通であり、何が異常なのかさえわからなかった。週の後半、自分で車を運転してコンビニまでドライブをし始めた。たまたま小学生が帰ってくる時間帯で、それを見て、私は何をしているんだ。小学校の教員に戻りたいと車の中でぼーっとしていた。

2週目
相変わらず、朝は起きれない。薬のせいかと思ったが、今は起きれるので、多分違ったと思う。
少し遠くまでドライブするようになった。理由はスマホでネガティブサーチをして気持ちを落とすより良いと思ったからだ。海へ向かった。
人が少ないひとりになれる空間は気持ちが良かった。ちょっと小汚いベンチに座った。海の音、青い空、ゆっくり揺れる透き通った薄い緑の水面、時折聞こえるカモメの鳴き声。太陽の光を浴びる心地よさ。
ああ、疲れたなとため息を大きくついた。1時間以上そこにいた。何をやっているのだろうという思いと海の気持ちよさを感じながら、心の中は、透明な水の中に、白と黒の絵の具を落として、ゆっくり混ざっていく感じだった。
仕事のことは、ずっと頭の中にあり、本を注文したり、今のうちに勉強しなきゃと手元にある本を手に取り読んだ。全く内容は頭に入らず、すぐに寝てしまった。やっぱり、仕事のことはまだいいやと思い、鞄にしまった。

3週目
週の後半に、ようやく仕事から切り離すことができ始めた。休んでいると実感し始めた。しかし、決断を迫られ、気持ちが落ち着かなくなり、転職サイトを1日中見続けるという異常な状態になり、復帰は無理だとなった。家事を手伝うようにはなった。体力作りのためにウォーキングを始めた。数分歩いただけで息が苦しくなり、体力が落ちているのを感じた。相変わらず、復帰できるできないを繰り返し、相担のことを思い出しては、絶対に戻れないという思いになり、気持ちに浮き沈みがあった。

4週目
何かしたいという気持ちはないが、ちょっとずつ我が子とゲームができるようになった。
紆余曲折はあるものの、朝には起きれるようになってきた。洗濯物を干すようになった。今まではなかった⚪︎⚪︎が食べたいという気持ちが湧いてきた。
しかし、人が多いところに行くと疲れて寝てしまう。仕事のことは、頭の片隅にあるが、焦燥感はなくなった。先輩や友人と話した。いちいちひっかからなくても良いが、友人に、俺は××先生とうまくやるから代わっても良いぞと冗談で言われて、上手にできない自分を責めた。午後は5キロウォーキングをし始めた。汗がかきたかった。サウナと同じように自律神経を整えるのを意識して、わざと暑い時間に行き、終えたら涼しい部屋で冷たい水を飲むようにしている。

果たして7月末に休み終えて復帰できるのか。
実際には7月半ばに、職場と復帰後の働き方について話し合う。
なんだかもう今年は、もはや、12月復帰になってしまっても良いかなとも思い始めている。多分、そう思える程度に回復してきたのだとは思うが、通常勤務には、しばらく戻れそうにないなとは思っている。

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