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地域とともにある学校にするのであれば

運転中、赤信号になり、小学生が横断歩道を渡りだした。
小学生を小学校教員ではない立場から見る新鮮な感覚。
友達と戯れながら渡る子 手を挙げて礼儀正しく渡る子 早く家に帰りたくて走って帰る子
手提げのプールバッグを引き摺る寸前の子
ああ、うちの(前任校の)学校だったらお局さんに「手を挙げる時は肩より上!高学年が手本!帰りは歩いて帰るのが当たり前!生徒指導として指導してください!」
なんて言われて、適当にはいはい言ってたんだろうなと苦笑いをしていた。

にこやかな姿から、この子たちにとっても、また金曜日の放課後は特別な時間なのだろうなと見ていた。

そして、たくさんいる中の3人がこちらを見てお辞儀した。感心した。
たった3人と言うべきだろうか。

いや、人数ではないのだと思う。
そうやって行動しようとした素晴らしい子たちである。

だが、地域からだいたい連絡が来るのは、多くはできていない姿だった。走っていたとかどうとか。
連絡が来たからには、指導する。
こうして子どもたちの耳に届くのはできていない自分たちの姿。例え自分のことでなくとも、地域からそんな話があったともなれば、自分のことのような気がする。
子どもたちにとっても教師にとっても耳に届かなかった3人の姿はなかったことになるのだ。

できていないことから学ぶことも間違いなくある。
しかし、やろうとしている子どもたちを認め、誇りを持たせてやれば、いつかそれが広がり、習慣になり、文化になるのではないか。
私たち小学校教員サイドも全員がやるべきという柵で、やろうとしている子どもたちを見ることができていたか。私は見ることができていたか自信はないなと、離れたからこそ見えた視点であり、考えさせられた。

とは言え、電話をする勇気はない。
ならば、外部からそういった姿を伝えやすくするシステムができると良いなと思う。
地域に開かれた学校から、地域とともにある学校に変わった。なんたらスクールとか難しいことよりも、地域とともに子どもに誇りをもたせていける学校になっていけると良いなと思った。

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