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学級と騒がしさ

今日は久しぶりに学級崩壊する夢を見ました。
正式には学級崩壊を経験したことはありませんが、クラスの中で似たような様子が見られたことはあります。(6月、11月のあの時期です)
言うことに反発する子。クスクスする女子集団。注意してもヘラヘラしている雰囲気。そんなクラスです。
あの自分ではどうにもできない状況に出会す瞬間というのは、足元の血の気がさーっと引いていく感じがします。これが学級崩壊なのでしょう。

小学校の先生をしている人は、よく見る夢なのではないかなと思います。
意外と学級経営が自分の中でうまくいっている時でも、うまくいっていない時でも見る夢です。
楽しい一方で、次の自分の一言や、ほんのちょっとした子どもの言動を取り上げるか否かで学級の状態を左右する怖さや責任がある。
それを200日間繰り返す。それが小学校でした。
そりゃあもう、放課後の電話が鳴るごとに、ビクッとなったものです。

では、騒がしいクラスは学級崩壊しているのでしょうか。
かつての私は、規律がなっていないクラスだなとか、指導者の指導力はどうなのかと思っていました。
何故ならば、学級経営をする上で、規律と自律とユーモアを大切にしてきたからです。
しかし、今は、騒がしいのは学級崩壊であるとは言えないと考えています。
(ただし、教師の指示の出し方の責任で、騒がしさがマイナスに働いている場合があるのは否定できません。級外の授業なんかでよく見てきました。)

騒がしさと主体的な学びは紙一重です。この絶妙なバランスを見出せる力が、教師に必要な力であると言えるでしょう。
しかし、我々には子どもたち、ひとりひとりを大切にする責務があります。ですから、他律が成り立った上での自律であることは忘れてはなりません。自主性などは、他律なくしては、ただの我が儘です。そこを履き違えると、間違いなく崩壊するでしょう。

あとは、そのバランスを見つけるための責めた学級経営をする勇気があるかどうか。
面白そうです。

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