死ぬ前に南の島に行きたいと思った(2019/01/26 下書き)
久しぶりに死ぬことを想像した。部屋の荷物を全部処分して、死に場所を探しに南の島に行く。
普段は見ないようにしている、見ないで済んでいる無気力な自分に気がついてしまうときがある。
そういうとき、とてつもなく死んでしまいたくなる。わたしは恵まれている。わたしは多くの投資を受けて生きてきた。にも関わらず、ずっと薄っすら死にたいと思って生きている。投資に見合う価値が自分に無いのを自分が一番よくわかっている。そのことに対する罪悪感でしばしば潰れそうになる。けれど、投資してもらわずに生きていけるだけの根性もない。申し訳なくて、もう終わりにしようと何回も思った。でも死ぬのはこわかった。死の直前にやっぱりこんなことしなきゃよかったと思うんじゃないか、と。
自分自身に価値を見出せない一方で、自分の人生は結構気に入っていた。思い出すだけで叫び出したくなるような思い出も沢山あるけれど、大事にしたい人、大事にしてくれる人に出会えた。綺麗なものを見た。美味しいものを食べた。そういう希望を自分から手放す勇気が無いのだった。自分で書きながら、どこまでも勝手だなと思う。
いつまでこうやって生きていけるだろうか。昔からわたしはこうだったが、当時は人生に未確定な要素がとても多く、変われるかもしれないという思いがまだあった。この歳にもなると、今後変わる望みは無いのだと諦めざるを得ない。このまま生きていてもいいのだろうか。そのうち本当に堪えられなくなる日が来るのかもしれないし、存外図太くこのまま生き続けるかもしれない。
今のわたしは生き続ける可能性を考えて出来ることをやっていくしか無いなと、自分の底にあるものを見ないふりして誤魔化し誤魔化し日々を送っている。
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