見出し画像

中学生の頃はなんとなく一生子どもでいられると思っていたよね

実家の屋根裏から小学〜中学時代にかけての黒歴史類をトランクに詰め込んで持ち帰ってきた。

死にたくなるたび、あれが死後発見されたら死んだ後まで恥を晒すことになる、と後ろ向きに思い留まる最大の要因たち。特に、昔書いた小説(しかも未完結)は、わたしの中ではぶっちぎりの黒歴史だった。屋根裏に上がったとき、あまりの物の多さに見つけられないのではないかと絶望したが、存外わかりやすい段ボールに入っており、回収してよかったと心から思った。小説を書いていたノートや裏紙の束は二重にビニール袋に包んだ上からプチプチでくるみ、さらにその上にビニール袋をかさねるという厳重な保護がされており、完全に危険物扱いだった。まあ最もなこと。

そのほか、小中学校でもらった手紙やプリクラや写真、学校で書いた文章まで、全部持ち帰ってきた。黒歴史たちは思っていたよりずっと物理的にも重く、それら以外には2日分の服と日用品、本一冊しか入っていないにもかかわらず、トランクは15kgにもなった。

黒歴史の束は中身を見ないで捨てるつもりだった。しかし、混ざっている封筒の中にお金が入っていそうなものが散見されたので、渋々チェックすることにした。実際、一つの封筒から五千円が出てきたので、心痛を堪えながら開いた甲斐はあった。

同級生たちからの、自分が書いた手紙への返事には自分が書いた文章が透けて見えることが想定され、それに堪えられそうになかったので、大人からもらったもの以外の手紙は開かずにゴミ袋に入れた。こちらから縁を切った幼馴染からの手紙が半分近くあり、もう許していいかなという思いが一瞬心を過ったが、縁を切る最後の一押しとなった出来事を意図的に思い出すことによって、思考を止めた。

大人からもらった手紙には祖母、担任、図書館司書の先生、元叔母、そして母からの手紙があった。母からの手紙のことなどすっかり忘れていたので驚いた。

母からの手紙は10歳のわたしへ向けたものだった。中には、家族に対する想いが書かれていた。わたしが家を出てから思っていることと全く同じことが書いてあって、気づいたら涙がボロボロ落ちていた。わたしと母は性格がよく似ている。それ故にいつも衝突し、(おそらくお互いに)傷ついていた。普段から似ているとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。二人とも家族のことをとても大事に思っているのに、どうしてわたしたちはうまくやっていけないのか。とても悲しい。

手紙の入っていた袋にはプリクラや昔の写真も入っていた。写真に写る人たちの大半と、いまは交流を持っていなかった。写ルンですで撮った修学旅行の写真はなかなか良かったので、取っておくことにした。プリクラは高校時代の一部を除いてほとんど捨てた。しかし、一方的に音信を絶たれた幼馴染と一緒に写っている写真とプリクラは、どうしても全部を捨てることはできなかった。心のどこかでまた元に戻れることを期待しているのか。理不尽なことをたくさんされてきたが、良い思い出もない訳では無かった。だから捨てきれずにいるのだろうか。自分でもわからない。

人にはいくつもの顔があるが、嫌な面も良い面もその人なのだと思いたい気持ちを、わたしはまだ捨てられずにいるらしい。酷い母親だったと親戚から言われている元叔母のことも、未だに完全な悪人とは思えず、彼女からの手紙も捨てることができなかった。綺麗な文字で紡がれた、よく撰ばれた言葉には人の良さが滲んでいるように思われた。

最初はお金が混ざっていないかを見るだけのつもりであったのに、色々なことを思い出し、ゴミ袋に詰め終わるまでには随分と時間が掛かった。

やっと全てを分別し終えたと思ってゴミ袋をずらすと「一生青春‼️」と書いてあるプリクラが一枚落ちていて笑ってしまった。中学生の頃はなんとなく一生子どもでいられると思っていたよね、と笑いながらゴミ袋に入れた。


さようなら。みんな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?