ハンカチの自由、自由なハンカチ
はじめまして。
わたしは、ハンカチを主に扱っているオールドファッションという会社の広報担当で、Dといいます。
ハンカチという、なんだかささやかなものを主力商品としていますが、会社にはそのささやかな宇宙に魅せられたスタッフが集まり日々楽しく(ときにドタバタしながら)働いています。
自分はまだ会社の歴史でいうと半分にも満たない在籍年数ではあるけれど、もともと凝り性なところがあったからか、プロダクトの目に見える面だけではなく製作背景、使い心地、使ってくれるひとの生活まで気になって……いろいろなコミュニケーションをとっていきたい、と思っていたらいつのまにか広報担当になっておりました。
ここでは主なプロダクトのハンカチにまつわること、布のこと、雑貨のこと、日常で感じたことなんかを、おこがましくも素直に書いていきたいと思います。ハンカチという物体になじみのない方も、すでにコレクターの域という方も。まずは暇つぶしに、気楽にお読みいただけたら幸いです。
わたしたちの扱うプロダクト、とりわけハンカチには、底知れぬ魅力があります。入社するしばらく前のこと、はじめてそのハンカチを手にしたとき、いちばん鮮烈に覚えた感覚は「自由」でした。それははっきりと言い表せないものの、流動的で手のひらからあふれ出ていきそうな「自由」です。全身が総毛立つような好奇心が押し寄せ、小一時間手を震わせながらどれを購入するか悩んでいた記憶があります。久しぶりに買うハンカチのなかなかの値段にびっくりしつつも、満たされた気持ちで2枚を手にして帰路につき、部屋でしばらく眺めたものでした。このころちょっと悲しい出来事があったからか、その「自由」は強くわたしの胸を打って、はっきりと慰めてさえくれました。
数年が経っていま、出会うべきハンカチと邂逅した日の感動をこれから出会う誰かに伝えたいと思ったのは、先の経験からです。ハンカチひとつで救えるこころがあるとすれば、きっとほかにもそれを必要としている誰かがいるはず。わたしたちはこんこんと湧く水のようにプロダクトを生み出すことはできても、それを誰かに触れてもらう術をあまり持っていないと感じて、この場所をひらきました。
自分が店に並ぶハンカチから感じた「自由」は何だったのか。ここで言語化することを機に、自分がはじめて購入したハンカチをとおして考えてみました。すると3つの「自由」が見つかったので、ここに記しておきたいと思います。
まず、正方形ではないという衝撃。さらにはデザイン性の高さ、発色や質感のどれをとってもすばらしく、それぞれが芸術作品のよう。よく見れば組成が載ったちいさなシールには商品名が書いてあり、多角形のハンカチには「なつのぜんぶ」というタイトルがついていました。ひらがなで「なつのぜんぶ」と名付けられ、ガラスのかけらみたいなかたちをしたハンカチ。1枚の平らな布きれに、夏の色、尖る日差し、きらめきが確かにぜんぶ詰まっているように感じられました。もう一方のぎざぎざとした縫製のハンカチのタイトルは「may」、初夏に踊るような草木の勢いを思わせます。この詩的な余白、想像をかき立てるものづくりが、使う人間にとっての「思考の自由」です。
作品といってもやっぱりハンカチ。天然素材がやわらかく手になじみ、水をやさしく吸い取ってくれるだろうという期待もあったけれど、大切に大切に、しばらくはそれ以外の方法で楽しみました。飾り棚に敷いてみたり、壁にピンで留めたり。これが「用途の自由」です。サイズによっては首に巻いてもいいし、お弁当を包んでもいい。そんないろいろな使い道を容易にイメージできることもうれしくなりました。
そして最後は「ハンカチの自由意思」!自社のハンカチがどうしてほかのハンカチと違うかというと、ハンカチのほうから語りかけてくるような気がするのです。それはまるでハンカチ自身が存在に胸を張って意思を持っているみたいに……物理的にはどうしたって添えものであるハンカチが、生き生きと「わたしを頼りにして!」と呼びかけてくるほどの個性と存在感を放っているわけです。どうしてそんなハンカチができあがるのか? そのひみつは、入社してから知ることとなったのですが、それはまたの機会に。
ハンカチというちょっとしたものが自分の生活に寄り添ってくれるとき、それらを所有物や道具という名ではなく、相棒やお守りと呼びたくなる。そんなふしぎな安心と高揚をまだ見知らぬ誰かに届けられるなら、それがいちばんうれしいことです。
最初からちょっと特殊なハンカチを紹介してしまいましたが、いまでもお気に入りの2つ。デザインしてくれたクリエイターの紹介もしているので、よかったら覗いてみてください。
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