『オンライン人狼』をやってみた。


▼『オンライン人狼』をやってみた。


今日は、役者仲間たちと『オンライン人狼』を開催した。


画像1

(りなごんが目をつぶってしまっているけど、これです)


僕は普段ゲームしない。だからゲームのために集まる習慣がない。オンラインで何時間もゲームして寝不足、みたいな経験が本当にない。ゲーム仲間という感覚もいまいちわからない。

人狼は過去に何度かやったことはある。
が、全て誰かに誘われてやったことのあるものだ。

今回も誘われてやってみた。



久々のゲームをやった感想。



率直に言ってとても面白かった
なるほど、これはみんな何時間もやってしまうわけだ。


▼通常の人狼との違い


そもそも「通常の人狼」がどういった形式のことを指すか知らない。けど、仮にオフラインでプレイするものを「通常の人狼」と位置付けたとする。
オンラインだと、相手の心を読むのが難しい。

全員の中から1人を指名する『会議』(言い方あってないかも)の時間にそれを如実に感じる。

普段だと会話以外に、相手の目線、リアクションの間、呼吸、息遣い……など様々な情報から推測をしているのかも。
オンラインだと自分のイメージ通りに推測できていなかったり、画面越しの情報をヒントに動くから無意識の中のミスリードが多いなぁと思った。

あと、みんなで顔を『伏せる』のがとても楽しかった

家で『伏せる』ことなんてなかなかないから、すごく新鮮。
やってみることで気づくことが多い。


自宅にいても発見はあるなぁ。


次はプレイヤーを3〜4人増やしてやってみたいな。


▼コミュニケーションとコミュニティ

それっぽい見出し(目次?)をつけてみた。
それっぽいことを書いてみる。


これだけ自宅にいることがあまりなくて、しかもそれが自分だけじゃなくて世の中のほとんど全員が自宅にいる。
だから思い切って誘うこともできるし、誘いに乗ってくれた仲間とは何気ない会話もできる。

コミュニケーションをとる時間がとても楽しい。
シンプルに人狼ゲームそのものが楽しい、という側面もあるが、普段お芝居のために集まる仲間がのんびり集まる時間が新鮮で楽しいし、贅沢に感じる。


なんやかんやオフラインで出会ってきた仲間たちに助けられている感覚がある。

こうして自宅にいても取れるコミュニケーションが成立するのは最高だけど、それはあくまでオフラインで形成されたコミュニティが下地になっている。



コミュニケーションに支えられるし、コミュニティに支えられている。
何より、安心するのかもしれない。そして心が洗われる。明日も頑張ろうと思える。
逆に言うと、こんな時だからこそオンラインで出会うのも刺激的で面白いのかもしれないけど。
やっぱりコミュニティの力が今、改めて大事になってきている印象がある。

少なくともじぶんの中では。


今は刺激よりも安心が欲しいのかもしれない。



そしてこの「安心できる仲間」と集まってダベって笑って過ごした時間の先に、新たな表現のヒントになる“なにか”が転がっている気がしてならない。

その“なにか”が見つかったら、いつか思い切り舞台でお芝居が出来る時にこの仲間と集まって、お客さんにとっての「安心できる場所」を作る。

引き続き声を掛け合って支え合って生きていこうと思う。


それっぽいこと言っているね。でもわりと本気だ。エンタメの世界で生きている人誰しもが本気だ。これだからこの世界が好きだし、やめられないのかも知れないし、辞める気もないのかも知れない。



次の集まりが楽しみだなぁ。


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