ポーカーは金を賭けないと成立しないのかという話題について(雑記)

私のXのタイムライン上で標記の件がに関するnoteが話題になっていたので、そこについて雑感を書いていこうと思います。

当該noteは下にリンクを置いておきます。

このnoteの主張を簡単にまとめると以下のように読み取れました。(あくまで私の読み取りです)

1 ポーカーはそもそも「賭けないとゲームとして成り立たないと考えているので、賭けないという選択肢がそもそも存在しないはずだ」という考えである。
2 ゲームには「コア」になる部分と「メタ」になる部分があり、コアはルールなどのゲーム性を表し、メタは何をしたら強いかや報酬などの盤面外での魅力を表している。
面白いゲームは「コア」だけでなく「メタ」の部分も面白いゲームである必要があると考える。
3 ポーカーというゲームの「コア」の部分はチップの取り合いであるが、「コア」だけの部分では十分に面白くない。
しかし「メタ」に当たる部分も分かりづらい。多くのゲームでは「相手に勝つ」「何か条件を達成する」ことによって得ることができる快感などが心理的な報酬となり、「メタ」の一部となっている。
4 しかし、ポーカーという競技はキャッシュゲームであれば、いつ入っていつ抜けてもよく、例えばテーブル内すべてのプレイヤーを打ち倒すなどの他のプレイヤーとの勝ち負けを明確に示すにものがわかりにくい。
5 ハンド(ラウンド)ごとに勝者がいて、小さな勝ち負けはあるが、それはその時に配られたカードの強弱による運任せの勝負になってしまう。
それではただの運だけゲームとなり、面白くない。
技術が介入する余地があるとすれば、「いかにチップを失わないか、あるいは相手から多く奪えたか」に帰結し、それこそがポーカーの「メタ」の部分になると考えている。
6 ポーカーは運の要素がとても大きく、仮に同じ技術のある人が年単位でプレーしても片方は勝ち、片方は負けることもある。
7 よって、短期的な勝敗のやり取りは「相手を打倒した」といいづらく、虚像の勝利にしかなっていない。
8 その点に着目すればポーカーのメタ要素は「賭けた以上の金を獲得することができたか」に帰結するので、マネーマッチが前提の競技であることは明らかだ。

この主張は他の多くのプレイヤーが自分とほぼ同じ力量を持ち、長期的にポーカーをプレーし、十分な資金をもって何度でも挑んでくる場合には妥当だと感じます。
しかし、実際にはプレイヤーたちのゲームへの理解度は様々ですし、そういった長期的なゲームとしての側面だけがポーカーというゲームの「コア」や「メタ」ではないのではないかと考えているので、自分なりにテキサスホールデムというゲームの「コア」と「メタ」を考えてみた。

テキサスホールデムの「コア」とは

52枚一組のトランプで行うゲーム。
配られた2枚の手札とホールカードを使い、4度のベッティングラウンドを経た対戦相手とのやり取りによって、チップをやり取りする運の要素が強い不完備情報ゲーム。

さて、私が考えるテキサスホールデムの「コア」は上のようなものです。
ラウンド単位でみればチップを介した対戦相手との駆け引きを楽しむゲームです。
この「コア」の上で設定された勝利条件を達成すべく、様々な戦術やプレイヤーの思考が行われるわけです。

さて、「メタ」の部分を考える前にそもそもゲームにおける「勝利条件と報酬」・「参加条件」とは何か、を考えてみたいと思います。

主催者がいないゲームにおいては、参加者同士の合意により「勝利条件と報酬」・「参加条件」を定める。
主催者(ルールを定めるもの)がいる場合には、ゲームへの参加は主催者の定めた「勝利条件と報酬」・「参加条件」への賛同を意味する。

このように定義し「参加条件」を満たし、かつ「勝利条件」を満たせば「報酬」を受け取ることができるものとしましょう。
これが一般的には「勝利」と呼ばれるものですね。
ですから、その「勝利条件」は時と場合によって変化し、参加者のペルソナや「参加条件」に大きく左右されるでしょう。
また、だとすれば、「敗北」とは「参加条件」か「勝利条件」のどちらかを満たせなくなった状態のことを指すと言えます。

プレイヤーはこの「敗北」から遠ざかるように行動しようとします。なぜならそれは「勝利」に近づく行為であると同時に、「敗北」すなわち「参加条件」を満たせなければそのゲームで遊ぶことができなくなるからです。

そしてこの「敗北」から遠ざかる行為の難易度が適度であるとき、そのゲームを人は面白いと感じるつまりそれがつまり「メタ」ということなのではないでしょうか。

テキサスホールデムの「メタ」とは

テキサスホールデムは運の要素がある不完備情報ゲームであるため、短期的には自分よりも格上の相手のその時持っているチップを奪い勝つこともできる。
負けた場合にも運が悪かった(実力では負けていない)と考えることもできる。
しかし、不完備情報ゲームであるがゆえに情報解析の精度を上げたり、戦術を学ぶことで長期的な勝率を底上げすることもできる。

これがテキサスホールデムの「メタ」つまり面白さとして捉えられている部分なのではないでしょうか。
短期的視野の人にも、長期的視野の人にもそれぞれ違う「勝利」の形が見えています。
将棋やチェス、スポーツと違いやる前からまぐれでしか勝てない、ということがわかり切っている状況にはなりにくい上に、技術の介在の余地を感じることができ、単なる運だけゲームではないとプレイヤーに思わせ、ゲームを遊ぶモチベーションが保たれているのです。
しかも参加条件に「命」「年齢要件」「身体要件」などがほぼなく、他の参加者の同意さえあれば52枚のトランプでどこでも遊ぶことができます。

テキサスホールデムにおける「敗北」の条件とは「参加条件」すなわち自分の参加できるゲームが成立しないことです。
チップをすべて失い、次のラウンドへの参加権利がなくなった際に、再び次のラウンドや別のゲームに参加する「参加条件」を満たせなかったらそこで「敗北」です。
これは例えば海外のカジノや国内のアミューズメントカジノで入場料が払えない、チップを購入するための資金がなくなった、自分のプレーしたいルールやレート、勝利報酬で場が立たないなどで起こります。

このように考えるとカジノゲームとしてのテキサスホールデムを含んだポーカーは敗北条件のために、マネーマッチである必要がありますが、それはあくまでキャッシュゲームという形で産業が成り立っているからであり、プレイする環境を問わなければ、必ずしもマネーマッチである必要性はないということもできると思います。
勿論海外ではマネーマッチが行われていて、そこで生活できるほどの金銭を獲得できる可能性のある競技ですし、今後国内でも、IRの中であれば現金を使って遊ぶことができますから、その土俵に立つために適切な理論を学ぶことはそこで遊ぶ「現金」が尽きてしまうという「敗北」から遠ざかるには有効な手段の一つになるでしょう。

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