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あの日から10年

「信号がストンピングしてる」
車の中から見た景色は最初はそんな印象だった。

14:46

あの日、営業先に着いたら地震にあった。古いビルでドアがあかなくなり、蹴飛ばして開けた。
みんな避難させてから自分は次の営業先に向かう。何が起こっているかラジオではつかめない。向かう向かうところで騒ぎがあり「俺、疫病神か?」と勘違いするくらいだった。

九段下では消防車が集まり、お台場からは火事のようすが見えた。夕方から次第に混み出す交通網。

上司に会社に戻れない旨を伝えようと何度も電話をかけやっとつながった上司はすでに退社。あのパワハラ上司が。こんなときだって自分がかわいくてしょうがないしょうもないやつ。

なかなか進まない渋滞。
食料が軒並みなくなるコンビニ。
ガソリンが1メモリしかないタウンエース。
つながらない電話やネット。
半径1mの世界も危うい感じになってた。

23:30

都心を抜けて渋滞の中車を走らせる。焦る頭に近くで友達が住んでるのが浮かんだ。会社はすでに戻れない。車中泊するにはガソリンがない。友達は実家。年に一回会うかどうか。ダメ元。

連絡をしたらつながり、来ていいよとのこと。
夜もふけてる時間にお邪魔してしまった。

マンションを管理しているのでその一室に転がり込んだ。
早速テレビを見せてもらったが、
テレビにはラジオで聞いて想像していた500倍の映像。
「誰がこれを撮ってるの?」と素朴な疑問が真っ先に湧いた。

0:50

友達と酒を飲み、夜を明かした。
たらふく飲んだわけでもないのにその日はとても酔った。気持ち悪さも、次の日に響くでもないが。酔った。2人とも気づいたら重なるように寝ていた。

会社に戻りガソリンを入れ車を置いたのは朝の7時かそこら。
そのままその日は家に帰れた

9:50

一人暮らしの築年数が古いアパートは何もダメージがない。
冷蔵庫に置いてあった灰皿が床にひっくり返ってた。
その日からACがテレビでは垂れ流される。
ポポポーンじゃねーよ。

自分や、自分の周りに何も不幸なことや大きな事件はなかったけど、けど、忘れることはできない。

東日本大震災。もう会いたくない。もうくんな。


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