プロフィールにそれ書くか?と思ったことについて

※フェイクあり

SNS、特にTwitter(X)のプロフィール。

TwitterのプロフィールはInstagramなどよりも個性もユーモアも出るものだと思っている。

ある日思ったことについて書いていきたい。




私の元友人はかなり重い病気を抱えている。
実際に発作が起きている所を見たことはあるので、私も症状を調べて把握するなどしていた。


ある時、その人と病気や障害をSNSのプロフィールに書く人について話したことがあった。



「軽症をどこまで詳細に書いてるんや、花粉症鼻炎ってwww

「闘病アカウントなら分かるけどさー、書いても仕方なくない?


発達障害が入っているなど、コミュニケーションのやり方で大きく問題があることならば書くべきかもしれない。

しかし「鼻炎」だったらスペースをやっている時にDMで伝えたり口頭で「ごめんなさい、鼻辛くてお聞き苦しいかも」と言える。スペースをやっていなければ書く必要もないのでは?

物事の大小の捉え方が違うのではないかと考える。

また、何か言い訳のような気もする。


私はこのような人間だと書くのは簡単だ。SNSの初対面ではやり取りをしないとどのような人間かは分からない。

最初から提示して分かりやすく説明することは親切とも言える、しかし、病み垢 自傷垢  「鬱で〜」と書くことによって人は魅力的に感じるだろうか。


近づきたいか???そんな人。


高校生の時、私も病み垢として提示してあった時はある。
#病み垢さんと繋がりたい
のようにハッシュタグをつけたツイートで同士を探して傷の舐め合いをしていた。今は勿論無いが。

自分のあり方は自分で決められる。明るい人と思われるか暗い人と思われるか。あなたはどう思われたいのか?


最初に出した元友人は出会った最初、一切病気のことをわたしとの話に出してこなかった。
明るくて気遣いができて、いつも周りに人がいる彼に重い病気があるとは思いもしなかった。


ある日彼に発作が起きた現場に出会ってしまったことがある。

「どうしよう、どうやって彼に接すればいいのかな」と私に相談されて状況を知った別の友達は、「同じ病気の人がいるからわかるけど...」と言いながらも「言ってくれたらにしようか、いつも通りで」と言ったのでそのままそっとしておいた。


彼から申し訳なさそうなメッセージが来たその時、初めて本当にこの人に病気があるのだと感じた。



本当の彼の辛さや悲しみは分かってあげられない。と思った。
彼の痛みを半分もらいたい、大事にしたいよという気持ちだけ抑え、返事をした気がするがなんて返したのか覚えていない。


なんでこの人に不遇があるんだろうって本気で悩んだ夜だった。

彼は人に極力弱さを見せず、自分と向き合ってきた強い人間なんだって思った。


そんなプロフィールに書かないよと言う人の話を挟みまして、本題に戻る。



プロフィールに病気・特性を書く人。

人と違うことなどをステータスと思っているのかと思う点もある。


例えば同性愛者であること。随分世相も変わり、普通のことと捉えられるようになってきた。

カミングアウトする有名人が報道されることがあるが、彼ら彼女らはカミングアウトで何を伝えたいのか、話題になろうとしているのか?


性的指向、誰が誰を愛そうといいのではと思う。それを大きな声で言うことは果たして必要なのか。

マイノリティであることが唯一無二の存在である訳ないだろう。

ただお前という人間があるだけ。


マイノリティ、特性、病気。自分が人と違うことを気のない言葉で表すのではなく、行動や関係を築きあげる過程から生み出された言葉が大事なのに、最初にマニュアルを叩きつけて終わらせる行為の何が有用なのだろうか。


……本当になんなん。


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